久世光彦、昭和を愛した不良

水菜

 秋に植えた水菜の苗が育っている。そろそろ食べ頃ではないかな。
 蕪村の句に、「冬木立(ふゆこだち)北の家(や)かげの韮(にら)を刈(かる)」。安永六年の句である。
 夜、NHK教育テレビの番組で「知るを楽しむ 私のこだわり人物伝」を観た。
 「久世光彦 昭和を愛した不良」と題して、脚本家の大石静が出演していた。まだかけ出しだった大石さんが、二十年前の久世光彦のことを、よく久世がひとりで過したという赤坂にある喫茶店の座席に座って話す。
 演出家の久世光彦は、脚本家の向田邦子と組んで「時間ですよ」とか「寺内貫太郎一家」のホームドラマを作りつづけた。
 久世は、昭和40年代皆が憧れていた団地へは興味はなかった。昭和の家屋を大事にしていた。家族の絆を表すために、世の中が核家族化になっていく世の中で、一軒家をホームドラマの舞台にすることにこだわった。
 「寺内貫太郎一家」や「時間ですよ」の放送当時の映像を懐かしく観ることができた。「寺内貫太郎一家」に、加藤治子が出ているのだった。
 番組で、狂言まわし的な語りを樹木希林がしていて、久世のドラマで彼女が「ジュリー!」と体を震わせる有名なシーンの映像を見れて良かった。こんなスラプスティック・コメディは今は、余り見かけない。
 加藤治子に『ひとりのおんな』(福武文庫)という本がある。全編が久世光彦加藤治子の対話で構成されているが、大変に面白い本である。
 今夜の番組を観て、読み返したくなった。
 1981年に向田邦子さんが台湾で飛行機事故で亡くなって、あれほどヒット作を連発していた久世は、ホームドラマの人気に陰りが出るころ、今度は向田邦子のエッセイを元にしたホームドラマを作り続けてきた。亡くなる10年前にはだんだん視聴率が下がってきていた、という。
 参照:「知るを楽しむhttp://www.nhk.or.jp/shiruraku/200801/tuesday.html