ベシミのこと

チューリップ

 昨日は雨水であった。

二十四節気の一。二月一九日ごろ。水ぬるみ、草木の芽が出始めるころの意。  『大辞泉

 今日の最高気温が13℃で、寒さがゆるむ。チューリップの芽が伸びて来た。
 蕪村の句に、「莟(つぼみ)とはなれもしらずよ蕗(ふき)のと(た)う」。
 たしか、この句は杉本秀太郎の『みちの辺の花』で、蕪村を言い表わすのに引用していた句だった。
 《明治の世にいたって、蕗のとうのように香り高く、少し憂いのにがみをそなえた俳人蕪村をさぐり当てたのは正岡子規であった。》(『みちの辺の花』より)
 夕方、晴れた東の空に丸い月が眺められた。月がとてもきれいだ。
 それはさて置き、倉光弘己対談集『時代の散歩道』*1(KBI出版)から、「気はどこからやって来たか」というタイトルの多田道太郎との対談を再読。

 司会 先生は昔からそんなに定住志向でいらっしゃいましたか。
 多田 僕は天の邪鬼ですから、時代で変わります。フランスが戦争に負けたから、フランス文学を志し、みながワァワァ言いだすと疑問を感じて、昭和二十三年頃にはパチンコやストリップの研究を始めるという具合にね(笑い)。  87ページ

 折口信夫の「ベシミ」について、

多田 折口信夫先生が「ベシミ」について書いていらっしゃいますが、ベシミに「お前は何という名前か」と尋ねても口をまげて下を見るだけで、返事をしない。ヒョットコの元祖だとも言われています。西欧社会では責任ある市民を前提に成り立っているのですが、ベシミには返事をする能力=レスポンシビリティがないのですな。
 僕はこういう西欧風の文明のコンテキストには巻き込まれたくない。ベシミに共感を覚えます。世界史の中で、強い奴の文明のコンテキストに巻き込まれたら、随分と不利な目に会う。日本でもそういうことがあった。こういうときは答えないのが一番です。  104ページ