ラジオ深夜便の「こころの時代」を聴こうと思っていた。
だが、放送時間が午前四時過ぎからなので途中で眠ってしまった。
ところが、四時過ぎに目を覚ました。ラジオのスイッチを入れると、ちょうど「こころの時代」の番組が始まったところだった。
すぐに録音にして、また眠りに落ちた。
その録音しておいたテープを聴く。
「番組表」では「鉄斎のこと 須田さんのこと」というタイトルで、西橋正泰アナウンサーが杉本秀太郎さんに聞いている。
富岡鉄斎という人について、杉本さんが語る。
円山四条派の画家の住んでいる場所が、今住んでおられる所から十分くらいの地域に集中しているという話。
それらの画家はほとんど商家の出自の人だという指摘など。
鉄斎こと、富岡鉄斎について大田垣蓮月とのつながりを語る杉本さんの話が興味深い。
大田垣蓮月は、陶器も作っていた。多芸のひとであった、と。
若い頃の鉄斎の絵は、蓮月の画賛とで一体になった合作の絵があります。
鉄斎の絵には、蓮月から受けた影響があると思います。
絵にユーモアのところがある人です。
須田さんのこと、というのは画家・須田国太郎についての話だった。
スケッチをしているところをお見かけした事があったそうだ。
勉強にフランスではなくスペインへ行かれたひとで、(四十歳すぎて)東京銀座の資生堂で、初めて個展を開いたら、誰ひとり観に来てくれるひとがいなかったそうです。
須田さんの絵について、「自分の業の深さを測るために絵を描かれたのではないかと思いますね。」
三高時代にご自宅が火災で焼けてしまうんです。晩年まで絵に赤い色、朱の色が続くんですよ。
全体として明るい絵とはいえない。絵の描写と色の特徴について談議が西橋アナウンサーとのあいだで交わされる。
二人とも生粋の京都人です。芸術家であろうとしたというより、いい職人であろうとした。
出来上がったものが人にどう評価されようとは思わなかったひとです。
鉄斎には生涯にわたって、蓮月の追憶があったわけですね。
終わりに、西橋アナウンサーが昨年出版された杉本さんの『京都夢幻記』の一節を朗読して番組はおわる。