かび・さびの世界

ハスの葉

 夕方、公園の池に寄る。 池の底からハスの若い芽がすーっと真っ直ぐに伸びて来ている。 茎の先の縮まった葉が開いて、平らなハスの葉になりだした。
 蕪村の句に、「蓮池の田風にしらむ葉裏かな」。安永三年五月九日の句である。

 ブックオフで二冊買う。105円棚から。
 著者サインと著者印入りの初版本。
 村松友視『小説の如く奇なり』1987年第1刷(講談社)。装丁・画は畑中純
 安岡章太郎『良友・悪友』1982年(角川文庫)

 夜、NHK教育テレビの「視点・論点」でアーサー・ビナードの「かび・さびの世界」を聴いた。 久しぶりにオモシロイ話を聞く。
 黴(かび)るべきか、錆(さ)びつくべきか、それが問題だ。
 ウィリアム・シェイクスピアの『ヘンリー四世』の第二部第二場のフォルスタッフのセリフ「絶えず働いて磨耗して駄目になるよりは、錆ついて駄目になるほうがましだな」。
 リチャード・カンバーランドの「錆びついて駄目になるよりは、絶えず動いて磨り減ったほうがよかろう」を引用しながら、黴(かび)・錆(さび)の世界をアーサー・ビナードさんが語る。
 黴が文学の中ではたす役割、とぼけたユーモアを湛(たた)えた詩を挙げながら話す。

 としよりの咀嚼つづくや黴の宿 (山口誓子
 黴る日々不安を孤独と詐称して (中村草田男
 黴の宿寝過ごすくせのつきにけり(久保田万太郎
 たらちねの母の御手なる黴のもの (中村汀女

 「ジョーよ引っ張れ」という詩からも。