五月の「自然に親しむ」

 25日の日曜日のラジオ深夜便を録音していたのを聴く。
 ラジオ深夜便の「ないとガイド」の「自然に親しむ」を途中から録音していた。今月(五月)のゲストは内山節さんで、聞き手は明石勇アナウンサー。
 やっぱり動物も道が出来たら、他の動物も通りますから・・・と語られているところだった。
 だんだん立派な道が出来ていって、本当にどっちが人間がつくった道か、鹿がつくった道か分かんなくなるような道があります。
 明石さんが、五月の連休中はどのように過ごされましたかと問う。
内山さんは、「連休中、ぼくは毎日お墓をつくっていたんです。実はぼくの妻が二年近く前に亡くなりまして、ぼくの庭のはじっこといってもいいですが、そこに村の人たちが、石を組んでちょっと場所をつくってくれまして、石を買いこんできまして基礎を造っていたんです。」という旨の話になり、「自分でお墓をつくってきて、こんなに面白いものだとは思わなかったんですが・・・。」
 五月の大型連休中のそういうお墓つくりの話題から、(新書の『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』で語られていた)昔の人の死生観にちょっとふれて、「昔のお墓というのは、人間亡くなるとからだからたましいが抜けて、それで自然の世界へ帰って行く。ということで人間本当に魂があるかと聞かれれば困るわけなんですが・・・。死んで残ったものは亡骸(なきがら)ですから、たましいが抜けて山の方へ行く。のこったものは、から、なきがらですから、自然に帰ればそれでいいんだ、そういう気持ちがありますけど・・・・。」
 
 「山梨県早川町という所にへ出かけられましたね。」と突然、明石さんが内山さんへ尋ねる。「早川町は私の連れ合いの出身地なんですが、4月のはじめごろ、そこで開かれたシンポジュウムに出かけられましたね。」
 そのシンポジュームへの呼びかけのチラシを、明石さんが読み上げる。
 最近は都会の人の参加がふえていますね。都会の人がこういう山村に関心をもっていることは現実ですね。
 今回のシンポジュームでの参加者の5、6割は都会からの参加者ですね。Iターンの形で早川町に来て、一種の早川町ファンクラブのような人もいるんですね。新しい自分のふるさとを見つけようとしている人がいるような気がします。といったように談話がつづいた。
 次回の内山節さんの出演は七月になる予定。
日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか (講談社現代新書)