丸盆の椎にむかしの音聞かむ

ドングリ

 秋晴れで、北からの風が吹く。街路樹の下の土にドングリが落ちていた。コナラの実だろうか。
 蕪村の句に、「椎(しい)拾ふ横河(よかは)の児(ちご)のいとま哉」。脚注に、横河―比叡山三塔の一つ。
 もう一句、「丸盆の椎にむかしの音聞かむ」。これは安永八年九月十二日の句で、「幻住菴(げんぢゆうあん)に暁台(けうたい)が旅寝せしを訪ひて」との前書きがある。*1

 以前、NHKラジオ深夜便で(6月16日に放送された)「清張さんに教わったこと」と題した番組で、担当編集者だった森史朗さんへのインタビューが興味深かった。
 聞き手は宇田川清江アナウンサーであった。
 その森史朗さんの『松本清張への召集令状』(文春新書)を先月読んだ。
 歴史にもしかしたら、という場面があるものだが、清張さん召集の件にもしかしたらという場面を想起したのだった。
 それは、森史朗さんの本で、「松本清張に二度目の召集令状がきたのは、昭和十九年六月二十八日のことである。」(68ページ)
 こうして、松本清張の本格的軍隊生活がはじまった。(中略)
「(昭和十九年)六月、臨時召集として久留米の第八十六師団歩兵第一八七連隊に二等兵として入隊。
第七八連隊補充隊に転属。敗戦までの一年間を衛生兵として勤務した」(71ページ)
 福岡の西部軍司令部に、十九年の四月ごろから転属して勤務していた人から招集の事務をやったことがあると聞いたことがあった。もしかしたら、その六月の臨時招集にあたるかもしれないと思いながら読んだ。

*1:脚注に、雲裡が粟津義仲寺境内に再興した幻住庵。