生誕百年

 今朝の朝日新聞に《「異」への敬意 貫く知性》と題して、「20世紀後半に大きな影響を与えた人類学者レヴィ=ストロース氏が11月28日、100歳の誕生日を迎えた。」と始まる文(渡辺公三氏による)が目に飛び込んできた。
 昨日、池澤夏樹の『雷神帖』に所収の、『野生の思考』と物語の擁護という池澤さんのレヴィ=ストロースとは何者であったか、あらためて考えてみるという文を読んだばかりだった。
 生誕100年といえば、植草甚一も生誕100年である。レヴィ=ストロース植草甚一は同じ年生まれなんだね。
 『東京人』に連載中の、津野海太郎さんの「植草甚一の青春散歩」第二回は、「関東大震災と勉強中毒の少年」である。
 それはさて置き、レヴィ=ストロースといえば、わたしが腑に落ちたと思ったのは「海賊行為」とか「山賊行為」といった人間の行為をレヴィ=ストロースが対談かなにかで語っていたことだった。
 『雷神帖』では、レヴィ=ストロースデカルトを比較検討している。
雷神帖―エッセー集成2 (エッセー集成 2)

 デカルトは分解する。レヴィ=ストロースはいくら分解したところで、構造という分解しきれないものがあると言う。取り外せるのはパーツだけであって、その全体を納めた枠組みはそれ以上小さな単位にはならない。それを認識するには分析ではなく神話思考によらなければならない。  『雷神帖』162ページ

 そういったデカルト的な「常識」という無理のある思考をめぐって、講談社のPR誌『本』2008年12月号で、村岡晋一氏の文が興味深かった。
 『対話の哲学――ドイツ・ユダヤ思想の隠れた系譜』(講談社)という本の著者で、晩年のヘルマン・コーヘン、オイゲン・ローゼンシュトック、フランツ・ローゼンツヴァイクといったドイツ系ユダヤ人の思想家たちに興味をもった理由を述べている。本国ドイツでもまったく忘れさられているという。

対話の哲学 ドイツ・ユダヤ思想の隠れた系譜 (講談社選書メチエ)

対話の哲学 ドイツ・ユダヤ思想の隠れた系譜 (講談社選書メチエ)