11月13日の 「『須賀敦子全集』年譜のこと1」で気がついたことの幾つかを書いて置くことにしよう。
『須賀敦子全集』第8巻にある年譜は、松山巌さんによるもので実に詳細に調べてあります。それは、須賀さんの日記、手紙、作品から作成された年譜で大変な労作です。
この年譜を読んでいくと、
1992、七月十三日、横尾壮英『中世大学都市への旅』の短評を「毎日新聞」に発表。
というところで目が釘付けになりました。
ここで、年月を32年前に遡ります。イタリアのローマであったローマ・オリンピックの年です。
須賀敦子全集の年譜に、
1960/S35 (30歳〜31歳)
八月六日、ローマ・オリンピックの朝日新聞取材団の通訳として、仕事に行く。(中略)この日から記者センターにつとめる。写真電送、テレックスの送稿、役所やホテルとの折衝、電気釜でご飯を炊くことまでひきうける。記者は森高志、辻富士夫、清水三郎治、槇野尚一、名取守政、瀬戸口正昭、上野尚一、青木利夫、通訳として須賀のほかに横尾壮英、井上朗。
以上のように、ローマ・オリンピックのあった1960年に、須賀さんは通訳仲間として横尾壮英さんに出会っている。これに気づいたのは驚きでした。*1
*1:年譜の本文の下に注記があり、次の説明文がある。横尾壮英 かつてのローマ・オリンピック取材団のメンバーの一人。