『須賀敦子全集』年譜のこと3

 今回は、イタリアの絵本作家でもあるブルーノ・ムナーリ須賀敦子さんのことについて触れてみます。
 『須賀敦子全集』第8巻にある年譜で、気になった箇所からの抜粋です。

 1981年、九月 このころ、白水社芝山博、ウンベルト・エーコ薔薇の名前』の翻訳を勧めに研究室に来る。

 ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』は1980年にイタリアで発表されて世界的なベストセラーになったもので、その翻訳を勧めに白水社の芝山博氏が翌年に、須賀さんの研究室に来ている。しかし、『薔薇の名前』(Il Nome della Rosa) の小説は須賀さんの日本語訳で出版されることはなかった。
 この本が日本語訳で出版されるのは1990年一月まで待たなければならなかった。河島英昭氏訳で東京創元社からである。
 その間の十年間は日本語訳の『薔薇の名前』を読むことができなかったのだが、1986年に映画『薔薇の名前』が公開上映されるということになったのだった。という出版事情で、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』は、本より映画の方が先行したのだった。中世イタリアの修道院を舞台に、そこで起きた連続殺人事件をめぐる物語。
 映画が公開上映されたときに、この『薔薇の名前』を紹介し論じた文章が雑誌などに載ったのですが、誰も日本語で読んでいない状態だったものですから、英語版の『薔薇の名前』からの引用文を日本語に訳して引用して論じていました。
 それで覚えているのですが、中沢新一さんがこの映画評を、英語版から引用して書いていましたね。*1
 須賀さんの手による日本語訳『薔薇の名前』を読めるということはなかったが、翌年の1982年の六月にブルーノ・ムナーリの絵本『木をかこう』が至光社から須賀敦子訳で刊行されています。
 年譜には、次のようにあります。

 1982、六月 ブルーノ・ムナーリ著、須賀敦子訳『木をかこう』を至光社より刊行。

木をかこう (至光社国際版絵本)

木をかこう (至光社国際版絵本)