「日曜美術館」でパウル・クレー

青梅

 白梅の木に梅が実っている。蕪村の句に「青梅に打鳴らす歯や貝(バイ)のごと」。安永五年五月十日の句である。
 朝、NHK教育テレビの「日曜美術館」で、「戦争と芸術 クレー 失われた絵」を観た。
 ドイツでナチスによって危険な表現者、退廃芸術家として目の仇にされて没収された多くの絵画作品が、スイスのルツェルンの画商の手によって、ルツェルンのホテルのオークション会場で売られていった。
 クレーの「R荘」1919年、「修道院の庭」1926年、この二点がホテルの会場で売られた。
 オークションに参加して、当時の作品リストに実際に幾らの値段で売られたかの金額をメモしていた人の証言などがある。この人は美術史家で、競売作品リストにメモした値段は「R荘」が850スイスフラン、「修道院の庭」が3200スイスフランで売られた。
 クレーの作品は300〜400点くらい行方不明の作品がある。
 今もルツェルンで画商を営むフィッシャー画廊の三代目の当主フィッシャー氏が、スイスという国のナチスと足並みをそろえざるをえなかった事情などを語る。
 スイスのベルンにドイツから逃れて戻ったパウル・クレーは、6年間をベルンで過ごす。1940年6月に亡くなるのだが、晩年の一年、線描画1000点以上も描く。
 「天使」の作品にはクレーの皮肉がこめられている、とか。
 晩年に、ベルンの近郊のミュンヘンブーフゼー村の農家をクレーはよく訪れていた。
 当時その農家で六歳だった老婦人が、クレーがやって来た時の思い出などを語る。農家の倉庫を老婦人が案内する。国の麻袋を入れていた場所だ。
 クレーは麻の袋、それも破れた麻の袋がないかと求めていた。
 その麻の布をキャンバス地に転用してその上に絵を描いたのだった。
 参照:「日曜美術館http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2009/0510/index.html