桂文我を聴く2

サクランボ

 明日は二十四節気のひとつ夏至である。
 夜が短い。午前四時頃に夜が明ける。
 三時頃、東の空で月と金星、火星が接近して並ぶということだが、眠っていて見られず。
 朝の光にサクランボが鮮やかだ。色つやが見事である。
 CD『おやこ寄席ライブ4 桂文我』で「てんぐの酒もり」、「たいらばやし」、「時うどん」を聴いた。
 「てんぐの酒もり」は、喜六と清八の二人の仲良しがお伊勢さんへ旅に出かけたんですが、帰りが一文無しになってしまい、野宿をしようと思っていると、道の両側に宿屋がある。そこで、お金があると言う顔して宿屋へと泊まるのだが・・・。
 一文無しの二人は大阪の鴻池、住友と名乗って千両箱を家の者が馬で後で持って来ると言って泊まる。無銭飲食をして逃げ出す算段をして眠りに落ちる・・・・。 宿のお金を払わずに夜中に逃げ出す。
 川にやって来るとそこへ山賊衆がやって来る。二人が木に登って隠れていると山賊が木の下で焚き火をして酒盛を始めるのだった。

おやこ寄席(4)

おやこ寄席(4)

 19日の朝日新聞の連載コラムの蓮實重彦「私の収穫」は第二回「アカギレの季節」。
 《敗戦の年、九歳のわたくし》が、《栄養状態が悪かったせいで、戦時中から戦後にかけては、誰もがアカギレで指を痛めていた。ところが、寒さが厳しさを増すと、いよいよ最良の季節が到来したとつぶやいている自分に驚く。》
 冒頭に、

誰もが、他者の言葉によって生きている。ほんの思いつきめいた片言一句さえ、それが他人の口からもれると、個人の思考や行動をいつまでも操作しかねない。それが社会といういい加減な環境の恐ろしさだ。そこで口にすべき正しい言葉など、あるはずもない。