トミ・ウンゲラーとロナルド・サール

 雑誌「芸術新潮」2009年8月号は、特集が「トミ・ウンゲラーのおかしな世界」である。
 フランス東部にあるアルザス地方の古都、ストラスブール市に、「トミ・ウンゲラー美術館」が2007年11月に誕生したという。
 「人生篇 ある放蕩息子の長い長い旅」によると、トミ・ウンゲラーは生れ故郷のアルザスからアメリカのニューヨークへ渡り、カナダのノヴァスコシアに移住し、その後アイルランドへの移住を経て再び故郷アルザスストラスブールに戻って暮らしている。
 そのトミ・ウンゲラーの名が付いた美術館への探訪記の写真を見ると、住宅を美術館に改造したようにみえます。
 ヴィレール館長が、「具体的にはどんな企画の予定が?」という探訪者の質問に次のように答えていました。
 「まずとりあげたいのは、トミ・ウンゲラーに影響をあたえた3人の作家です。すなわちソール・スタインバーグアンドレ・フランソワ、ロナルド・サール」
 その企画展が今秋、11月27日からはじまるそうです。
 ロナルド・サールといえば、昭和17年(1942年)の二月にシンガポールで21歳の時にイギリス兵として捕虜になっていますが、昭和17年のシンガポール陥落直後に上陸して、その年の暮れまでシンガポールに兵隊でいた人から、捕虜になったイギリス軍やオーストラリア軍の兵隊の様子を聞いたものです。
 イギリス軍の中にはインド人の兵隊もいた。
 日本向けの貨物船にボーキサイトなどを積み込むのに、イギリス兵やオーストラリア兵の捕虜を使っていた。
 収容所での食事は、日本兵向けと比べても良かったそうです。
 分厚い肉とか、コーヒーへ入れる砂糖などたっぷり支給していたとか。
 中公新書に、会田雄次著『アーロン収容所』がありますが、その英軍捕虜になった会田さんに、逆の立場からイギリス兵捕虜をシンガポールで見てきた人の感想が共通しているのでした。
 その捕虜収容所での体験が後に、ロナルド・サールのひとコマ漫画集の「聖トリニアン学院の惨劇」のあちこちに反映されているのではないかとも言われていますね。
 ウンゲラーの絵を見ていると、たしかにロナルド・サールの影響を少なからず受けているように見えます。
 

芸術新潮 2009年 08月号 [雑誌]

芸術新潮 2009年 08月号 [雑誌]