『ボリシェビキの国におけるウェスト氏の異常な冒険』

ボリシェビキの国におけるウェスト氏の

 「ロシア・ソビエト映画特集」が9月9日より映像文化ライブラリーで始まっている。
 一本目は、ヤコフ・プロタザーノフ監督の映画『アエリータ』(1924年、90分、白黒、無声)で、9日に上映された。このときは観客は15人ほど。

 16日、レフ・クレショフ監督の映画『ボリシェビキの国におけるウェスト氏の異常な冒険』(1924年、60分、白黒、無声)を観に出かけた。今回も観客は同じくらい。
 アメリカに住んでいるYMCA協会のウェスト氏が、ロシアのボリシェヴィキが野蛮で怖いということが写真入りで記事になっている新聞を読んで興味を持ち、是非行って確めたいと決意するところから始まる。
 妻はウェスト氏のロシアへの旅行には泣いて反対するが、それを振り切って旅行に出発する。
 ウェスト氏は妻を安心させるために助言で、ジェディというカウボーイの男を警護に連れて行く。
 一行は二ヵ月かかってモスクワへ着くのだった。
 モスクワは雪は少ないが寒い季節である。
 モスクワ市内に到着すると、ホテルへ行くのに手荷物を自動車(タクシー)に積んで、ウェスト氏が足の靴下を引き上げているほんの少しの間に、そばに置いていたアメリカの新聞(ボリシェヴィキは野蛮で怖いという記事と人物の写真付き)が入ったカバンが、浮浪児の少年に盗まれてしまう。
 カウボーイのジェディは盗まれたカバンを探して歩きまわるが、そのうちウェスト氏の乗ったタクシー(バックナンバーが999)をも見失ってしまう。
 慌(あわ)てふためいて、ウェスト氏の乗ったタクシーを追いかけるが、バックナンバーが999だったか、666だったか記憶があいまいになり、十字路に来たときに666のバックナンバーのタクシーを追いかけるのだった。
 モスクワでは、自動車のタクシー以外に、馬車橇(そり)が走っていて、ジェディはそれを見つけると投げ縄を投げて、馬車橇の御者(運転者)を捕らえると道路に引きずり降ろし、歩道の街路樹にロープでぐるぐる巻きにしてしまうのだった。
 アメリカの西部劇映画の一シーンを想起させる。
 その様子を目撃した女の人がビックリしてひっくり返る。
 他の通行人の人々もジェディの行為に気づき、警察に通報する。
 何台ものオートバイに乗った警官が出動して来る。
 それを見たジェディは、馬車橇(そり)に乗って逃げる。
 逃げる馬車橇と追いかける何台ものオートバイとのシーンがモスクワ市内の道路で展開される。
 捕まりそうになるが、引き離してジェディは逃走を続ける。
 馬車橇を乗り捨てると大きな建物の梯子(はしご)階段を上って行く。
 後を警官隊が追いかける。ジェディはビルとビルに間に張ってあるロープを伝わって隣のビルに渡ろうとしていると、ロープが外れてロープにつかまったまま元のビルの下の階の窓へぶつかって部屋へ転がり込んでしまうのだった。
 部屋にいた人たちは怪しい奴だとジェディを捕まえようと乱闘になるのだった。
 そこへ女のひとが、乱闘の助太刀に加わってジェディを取り押さえようとしているうちに、はっと、その女は気づくのだった。ジェディが彼女の旧知の人物だったと。
 女はエミリーといい、モスクワ在住のアメリカ人だったのだ。
 一方、ホテルに滞在しているウェスト氏のもとには、 なにやら怪しい (カバンを盗んだ少年が、そのカバンを悪党一味に持ち込んだ。悪党に自称伯爵や伯爵夫人がいる。)一団が忍び寄って来る。
 悪党はそのカバンの中の新聞と名刺からウェスト氏の居所を見つけ、あなたはボリシェヴィキに追われている、命が危ないからと、安全な私たちのところに来なさいと言葉巧みに騙して、彼らの住んでいるアパートに連れて来て監禁してしまう。
 そこで、インチキな「ボリシェヴィキ」による模擬裁判などをしながらウェスト氏から、次から次へとお金を巻き上げ続けるのだった。
 だが、エミリーの尽力があって、警官によって悪党一味は包囲され事件は一件落着する。
 助かったウェスト氏は、自動車で案内人によってモスクワ市内の観光をするのだった。
 あれはボリショイ劇場です。宮殿です。市内を案内されるのだが、「あれが我らのボリシェヴィキです。」という場面で、赤の広場だろうか、おそらく赤軍だろう兵士の隊列や群集の映った映像が映し出される。
 そして、クローズアップの顔が現れる。
 レオン・トロツキーの姿が映った写真が・・・。

 映画を見終わった後、福岡からのYさんと『ボリシェビキの国におけるウェスト氏の異常な冒険』について雑談をする。
 ボリシェヴィキは怖くないというプロパガンダ映画と見られる締めくくりだが、アメリカ映画の西部劇のパロディ的な面白さがあり楽しめる。
 ドタバタの乱闘シーンも愛嬌のある映像だ。悪党一味もそれぞれ一癖も二癖もある怪人物たちで、伯爵夫人というのが、表情態度などくねくねして気味悪さで印象深い。
 レオン・トロツキーの映像があったのは、1924年の1月にレーニンが亡くなっているので、その後のボリシェヴィキの後継指導者としてのトロツキーをこの映画で見せたのだろう。
 だが、このことが後にスターリンが実権を握るにしたがってレフ・クレショフ監督の映画が批判を浴びるようになるというのは、この映画で、唯一トロツキーの指導者としての映像があるというのが、その理由に挙げられたということではないのだろうか。
 Yさんがトロツキー暗殺の映画があると話すのを聞いた。これは未見だ。