月と「見立て」をめぐって

上弦の月

 10月23日は二十四節気のひとつ霜降であった。
 このころ、霜が降り始めることから言うらしい。日中は陽射しが強く暖かいが、朝晩は寒くなった。 
 夕方、南の晴れた空に月が高く輝いていた。その左に木星が並んで光っている。
 今宵は上弦の月である。
 蕪村の句に、「山守(やまもり)の月夜野守(のもり)の霜夜(しもよ)しかの声」。
 『群像』2009年11月号の加藤典洋の評論「村上春樹の短編を英語で読む」の連載が第3回である。
 村上春樹の作品論での「見立て」をめぐっての論考がずば抜けて面白い。
 当然、高橋源一郎との二人の見立てになるのだが・・・。
 これを読んでいて、リチャード・ブローティガンの『アメリカの鱒釣り』の翻訳を藤本和子さんがすることになった経緯が、津野海太郎著『おかしな時代』で書かれていたのを思い出した。そして、津野海太郎著『滑稽な巨人――坪内逍遙の夢』で坪内逍遙論がある。
 それはさて置き、藤本和子さんの翻訳のもたらしたことの意義を再確認した。