詩はどこへ行ったのか

ソメイヨシノの赤い葉

 快晴で暖かかった。最高気温18度を記録する。小春日和である。
 街路樹のソメイヨシノの葉が紅葉していた。青空が広がり 桜の葉が色付いて、目が覚めるような赤色だ。
 日が暮れると、上弦の月が南に高く眺められた。
 木星が右手に少し低く並んで輝いている。静かな月夜。
 蕪村の句に、「静かなるかしの木はらや冬の月」。
 今朝の朝日新聞に「詩はどこへ行ったのか」と題してのインタビューに谷川俊太郎さんが、聞き手の鈴木繁氏に答えているのが興味深かった。

 ――ネットの浸透は、詩のことばに影響を与えていますか。
「デジタル情報が膨大に流れていることの影響が何より大きい気がします。世界の見方が知らず知らずのうちにデジタル言語化しているのではないか。つまり、ことばがデジタル的に割り切れるものになっているような。詩はもっとアナログ的な、アナロジー(類推)とか比喩(ひゆ)とかで成り立っているものですからね。詩の情報量はごく限られていて、あいまいです。
 古池や蛙(かわず)飛び込む水の音
 という芭蕉の句にはメッセージは何もないし、意味すらないに等しいけれど、何かを伝えている。詩ではことばの音、声、手触り、調べ、そういうものが重要です」

 インタビューのなかで詩人の黒田喜夫高木恭造について触れている。