「湯川成一の美しい本たち」9

桜五分咲き

 晴れているが気温がひと月戻ったかのようである。風が強い。公園や通りの桜の下で夕方からの花見の準備をしている光景を見る。本格的な花見は週末からだろう。
 大阪の南堀江にあるアートギャラリー「ギャルリ プチボワ」にて、「湯川成一湯川書房ゆかりの美術家たち」展が3月20日から4月3日まで開催されている。
 3月20日の午前4時過ぎに放送されたラジオ深夜便の「こころの時代」で「湯川成一の美しい本たち」と題して放送されたインタビューで、3月24日に書きとめた部分のつづきです。以下、その聞き書きです。
 

 戸田 《・・・後は、まぁ古書の流通の中で、いまでも日本中の古本屋さんのあらゆるところに湯川本が、あの御座いますけども。えぇ、古書としてはもう流通してますですね。》
 西橋 《福永さんがお書きになってた言葉で、「本そのものに美しい形があるという福音を伝えたい福音記者という言葉があり・・・。」》
 福永 《はい。そう思ったんです、私は。たまたまあのー、望月さんが、福音記者っていう陶の作品を作られていたんでね。人物像を。》
 西橋 《ほう、ほう、ほぅ・・・。》
 福永 《聖書のマタイとか、まぁ、ルカ伝とかあの人のあのことはキリストの福音を伝えた福音記者と言われてますよね。これは湯川さんだなぁと思ったんですね。本を見る喜び、手にする喜び。だと言って別にこれがなんて言うんかなぁ。豪華なもんじゃない。質素やけど、あぁ、嬉しいなぁ。何かこう、撫(な)でまわすちゅうのも変ですけどね。こう見て、こういう風にねぇ。》
 西橋 《開いて・・・。》
 福永 《背見てねぇ。あっ、上、天金しているわとかね。》
 西橋 《ほう・・・。》
 福永 《上に金を塗ってある。》
 西橋 《これを天金というんですね。はっはあー。へえー》
 福永 《この何気ないカットね。これ、本当に上手いなぁと、はい、思ってたんです。》
 西橋 《金でね、小さなカットを・・・。》
 福永 《ただ湯川さん言うてたのは、私の本は、買っていただける人がわずかだし、こういう本にお金を使うゆうのはなかなか使えないから、年に二回が精一杯だなぁと思いつつね。
 ある時、本作りにすごく誇りを持ってるなぁと思ったのは、私の知り合いの人が、京都の三条の事務所に、まぁ覗(のぞ)きに入ってたら、お客さんが、本を買われて、「また案内いただけますか?」って言われたらしいんですね。そしたら、「ええ、また来て下さい。」って言ったって・・・。普通、出版社なら、つぎ案内しますのでよろしくお願いします言うのが普通やのに、福永さん、あの人変わってますねと言うから、そらそうでしょう。あの人ね。みずから案内して買うような本は駄目だと。自分が欲しいなと思えば、努力せな、と。
 いまだに忘れられないんですけど、一般書で、東京で地方出版社の部屋いうのがあって、一生懸命に荷造りされてたんですね、普通の本を。そしたら、森有正論を、沢山あるんですよ。退(の)けるんですね。何でそれを、それ残りの売れ残って困ってん違うのって、私言うたら、これは大事な本やから探したい人にだけ売るんだぁ、と言うてね。荷物の中に入れないんですよね。
 あっ、あの時あれはあれだったんだなと。(笑い)みずから努力しなくて、待ってていい本自分の欲しい本手に入らないというのはこの事だなぁと思ったんですね。はい。》
 西橋 《なんとかフェアには出さないで置いておいて、で、誰か本当に欲しい人が探(さが)して探して探してたどり着いて来たら、その人に読んでもらおうと。》