而立書房からヘンリー・ソロー著『コンコード川とメリマック川の一週間』が山口晃氏による全訳で今年1月に出版された。入手してからゆっくり読んでいるのだが、山口晃氏の「訳者あとがき――別れと始まり」を読むと、今までソローの『コンコード川とメリマック川の一週間』の日本語による全訳がなかった。
ソローのもう一冊の著書『森の生活』は私たちの国において明治四十四年の『森の生活』(水島耕一郎訳、文成社)以来、今日に至るまで十七点の翻訳がなされてきた。それに対して、本書『一週間』を訳しながら、個人的な感想を述べることをひとつだけ許していただけるなら、私はある不思議な感慨におちいった。ソローが口当たりのよい川旅の本を書いたのであったなら、まちがいなく今その本を訳していることはなかったであろう・・・・・。この「売れなかった本」は一世紀半の月日の経過が必要だったのかもしれない。ある切なさと喜びの混じり合う中で、訳業を続けた。 498ページ
ソローがその生涯で出版できた著書は二冊だけであった。
訳者のあとがきから引用すると、
四十四年間の生涯で、ソローの出版できた著書は二冊だけであった。『コンコード川とメリマック川の一週間』(一八四九年五月刊)とその五年後の『森の生活』(一八五四年八月刊)である。他に生前、博物誌や政治的なエッセイがいくつか雑誌に掲載された。だが、二冊の著書およびこれらのエッセイの中で、出版がもっとも難産であったのが、本書『一週間』であった。 472ページ
「あとがき」を読むと、つぎのようなことが分かる。
ソローがこの『一週間』を出版する十年前(一八三九年)に、ソローは兄ジョンと一週間かけて「マスケタキッド」というインディアンの名をつけた舟をつくり、一緒に二週間の旅をした。
八月三十一日土曜日から水曜日まで舟で、木曜日から一週間を山に行き、木曜日に川へ戻り金曜日から舟で帰路についた二週間の旅を体験した。
出発の数週間前にエレンという少女がコンコードへやって来た。
旅から戻ってすぐに二人はエレンの家を訪れる。のちにジョンがエレンに求婚する。断られる。その後、今度はヘンリーが求婚する。断られる。
その後、一八四二年一月、兄のジョンが破傷風で亡くなる。
ヘンリーはジョンが亡くなったとき、一ヵ月間寝たきりになる。(心身症?)
エレンをめぐる恋愛事件、兄の死。
《ソローの『一週間』の形成はここから、つまり兄との別れから、始まる。》(475ページ)
目次は以下のようになっている。
コンコード川 7
土曜日 17
日曜日 52
月曜日 139
火曜日 207
水曜日 273
木曜日 345
金曜日 379
訳注 449
ソロー略年譜 471
訳者あとがき 472
どこから読んでもいいのだが、山口晃氏による「訳者あとがき」にソローという人物の当時の隣人たちや子供たちからの証言によるエピソードが興味深く書かれている。
子供たちの証言と穀潰したちとの交流を抜かしては、伝記そのものが成り立たない人間ソローは、自らの処女作においてもその一端を鮮やかに示しているわけである。 490ページ
本文ではないが、この本には写真が付いていて、ウェンデル・グリースンという元牧師が写真家になり、一八九九年から一九三七年の間に撮影したコンコード周辺の写真があって、見ているだけでも、《ソローの叙述を具体化しているようだ。》
はじめはソローの『コンコード川とメリマック川の一週間』に目が行きがちであったが、訳者の山口晃氏が石川三四郎、エドワード・カーペンター、ソローといった時間的に一世代ずつさかのぼる水脈、系譜に関心をお持ちであることにも注目した。
とにかく『コンコード川とメリマック川の一週間』が日本語で読めるようになったことを慶びたい。

- 作者: ヘンリー・ソロー,山口晃
- 出版社/メーカー: 而立書房
- 発売日: 2010/01/25
- メディア: 単行本
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