映画『大菩薩峠』余聞

大菩薩峠

 

私が『大菩薩峠』を読み出したのは、そういう状態が何日か続いたあと、ベッドの上で起き直って暫くは座っていられるようになってからである。その小説の冒頭、大菩薩峠を上ってきた老爺と孫娘の二人連れの巡礼が、ようやく頂上に辿りついて、二人はそこで弁当を使うことになり、孫娘が水を汲みに谷川へおりて行く、とそこへ不意に背後から、
「おやじ」と、編笠をかぶった武士に呼びとめられる。老爺がふり向くと、武士は「ここへ出ろ」と手招きする。「はい」と言われるままに小腰をかがめて進みよると、
「あっちへ向け」
 武士の声がきこえて、次の瞬間、ぱっと血煙が上り、老爺の胴体は二つになって青草の上にのめってしまった、という。斬ったのは大菩薩峠を東へ下りて十二三里行った沢井村の郷士机龍之介、斬られた老爺は龍之介とは何の所縁もない行きずりの巡礼である――。
 (中略)
 じつは、この延々と長い小説の発端の部分だけは私も、何度か読んだことがあり、幾つか映画でも見た覚えがある。しかし、これまでこの巡礼の老爺のことを考えてみたことは一度もない。要するに、ここでは机龍之介の精神の虚無と残酷さと剣術の腕の鮮やかさとが、一挙に示されればそれでいいわけで、作者もそれ以外のことはあまり考えていなかったであろう。 6〜7ページ  『果てもない道中記』上巻

 
 以上、長々と安岡章太郎の『果てもない道中記』の冒頭近くの文章を引用したのは、「じつは、この延々と長い小説の発端の部分だけは私も、何度か読んだことがあり、幾つか映画でも見た覚えがある。」という部分に注目したからである。
 先日、「生誕百年記念 山中貞雄監督特集」で、稲垣浩監督の映画『大菩薩峠 第一篇 甲源一刀流の巻』(1935年、日活京都、77分、35ミリ、白黒)を見たのだが、安岡さんが見たのは、もしかすると、この稲垣浩の映画『大菩薩峠』かも知れない。