『丹下左膳余話 百萬両の壺』余話

 今日は二十四節気のひとつ大暑です。
 早朝、気持ちの良い風が吹く。しかし、蝉の声が聞こえて来る頃には、夏本番の暑さです。
 蝉の鳴き声は遠くなったり近くなったりとしながら、昼前にはさほど鳴き声は聞こえなくなります。
 時折吹き抜ける風は涼を運んで来ます。
 先日、山中貞雄の『丹下左膳余話 百萬両の壺』を観たときに、ユニークなコミカルな演技の二人連れが気になった。高勢実乗(たかせみのる)と鳥羽陽之助が組んだコンビである。
 この二人について、小林信彦著『和菓子屋の息子』(新潮文庫)に触れられていた。
 一部引用する。
 

昭和のコメディアンといえば、戦前が古川ロッパエノケンに代表され、戦後は森繁久彌に代表されるといっていい。
 しかしながら、戦前には実は大物がもう一人いた。もちろん高勢実乗である。この人物については、『日本の喜劇人』(新潮文庫)にも書いていない。実体がつかめないからである。
 色川武大氏は、〈高勢実乗のことを主人公にして小説を書きたい〉と思い、取材をした挙句に自信を失った、と告白している。(『なつかしい芸人たち』・新潮文庫)。高勢実乗で困るのは、実体というか、正体がまるでわからない。軽い伝記一つないので、とっかかりようがない。
 しかし、スクリーンにぬーっと出てきただけで、観客がこれだけ喜ぶ存在はなかった。〈場面泥棒〉という言葉がむかしあったが、泥棒中の泥棒、大泥棒であった。
 珍優とか怪優という呼び方が、これほど似合う人もいなかった。〈知名度という点では、長谷川一夫にまさるとも劣らなかったろう〉と色川氏は書いているが、決して誇張ではない。 
176〜177ページ

旅まわりの小芝居からスタートした〈オッサン〉は成功に執着していた。色敵役としての〈オッサン〉は、サイレント映画と共に消えてゆくはずの役者であった。
 当時の新鋭、山中貞雄監督がトーキーで「丹下左膳余話・百万両の壺』(一九三五年)を撮ったとき、〈オッサン〉の奇抜なメーク、扮装が完成したといわれるが、ビデオで観かえすと、びっくりするほどではない。
 ただ、鳥羽陽之助と組んだコンビ(〈オッサン〉はローレル&ハーディを意識していたらしい)が受けて、十六歳の原節子が出るので有名な山中貞雄の「河内山宗俊」(一九三六年)にも、必然性なく、このコンビが登場する。*1  180ページ

*1:太字部分は傍点あり。