『回想のモンゴル』2

 夜明けとともにセミが鳴き始める。アブラゼミクマゼミとにぎやかだ。
 梅棹忠夫著『回想のモンゴル』を読みつづける。
 モンゴル草原を調査旅行した時のエピソードが興味深いのだが、その話は後でふれることにして、《戦争がおわり、平和がくるとおもったが、そうではなかった。日本のポツダム宣言受諾にもかかわらず、ソ連外モンゴル軍は攻撃の手をとめなかった。モンゴルでは戦争はつづいていたのである。》(100ページ)
 ひきあげ列車は、

 

 四日目の朝、われわれの列車は天津についた。内蒙古の数万人の日本人は、みごとに脱出に成功したのである。のちにきくところでは、満州国の日本人の脱出行は悲惨をきわめたという。それにくらべて、蒙疆の場合は、まさに奇跡の脱出というべきであろう。このみごとな撤退作戦をだれが決断し、指導したのかは、わたしはしらない。大使館と駐蒙軍司令部、蒙古自治邦政府の合作によるものであろう。この脱出行については、戦後の日本ではほとんどしられていないが、一九八一年になってから、ようやく、これに関する一書が刊行された(註)。
 (註) 稲垣武(著) 『昭和20年8月20日――内蒙古・邦人四万奇跡の脱出』 一九八一年八月 PHP研究所  106〜107ページ