『第四人称』

 この夏に読んだ一冊で、外山滋比古(とやましげひこ)著『第四人称』(みすず書房)が面白かった。
 この本の裏表紙に、この本がどういったエッセイかを簡潔に述べているので引用する。
 

アウトサイダーはインサイダーよりも早く客観的評価を下すことができる。当事者のわからないことが、離れた第三者によりよく、より早くわかるのは一般的である。この第三者というのが、実は、第四人称である。」(中略)
 本書は、〈のぞき見〉や〈立ち聞き〉といった、卑近な行為をキーワードにして、文化的伝統におけるアウトサイダーの意義、すなわち〈第四人称〉の存在とはたらきを明らかにしたものである。
これはまた、〈外山学〉の核心ともいうべき、読書論・受け手論の一部をなす重要な書き下ろし論考=エッセイである。

 最初に、この本のタイトルになっている「第四人称」という言葉について、述べられる。 

 戦前、横光利一が小説論の中において、第四人称ということばを使っている。注目はされたものの、広まらないで、今は忘れられているそうだ。

 この本で、外山氏が「第四人称的」とはなにかを具体的な、演劇・読者・伝記・書評・翻訳・書簡・日記・「とき・ところ」・歴史・新聞・トラベラーズ・バリュー・異人(エトランゼ)・洞察・裁判を例にとり論じているのだが、第四人称的立場であるからこそ見えてくるものが、豊富なエピソードを通じて分かりやすく徹底的に述べられている。その鮮やかな指摘に納得するところあり。
  あとがきにも書かれているが、外山氏は四十年以上も前から、演劇というのは、演劇の話者(S)と聴者(H)、それを客席から見るH2の図式になるとすると、H2には名がない。
 気にかかっていていつとはなしに、忘れてしまっていた。
 「それからでも、もう四十年になる。なにがきっかけであったか記憶にないが、またこの(S→H)→(H2)が気にかかるようになった。しばらくそれにとりつかれていて、このH2は第四人称と名づければよいと思いついた。」
 「それが、どういう風の吹きまわしか、どうしても第四人称論をまとめようと思い立った。」

第四人称

第四人称