『洛中通信』を読む

ニガウリ

1日、午前6時過ぎの南の青い空に月が高く昇っているのが見られた。連日の熱帯夜。早朝、ニガウリを収穫する。29センチ。
 夕方公園の池に寄る。観察しているハスは、花弁(はなびら)が水面に落ちて、如雨露(じょうろ)のような花托(かたく)がすーっと水面から伸びていた。花托のサイズは直径が5センチほどである。
 撮影をしてるとハンブルグからやって来た二人連れで男のほうが、この花托を脇から撮り始めた。ハスのことをLotosだと言う。
 2日、午前7時過ぎ、月が南中していた。下弦の月が深みのある青い空に眺められた。植物に水をやる。


 ハスの花の花托(かたく)。
 
 「文明の生態史観」を最初に読んだときに思ったのは、地図帳の巻末によくある気候区分図
との類似性であった。
 杉本秀太郎著『洛中通信』(岩波書店)のエッセイで、「京都人――梅棹忠夫のこと」を読んでいると、「文明の生態史観」がどこから由来するか、そのひとつを示唆する文があります。
 社会科地図帳というのがある。たとえば、今その社会科地図帳というのを開いてみれば、巻末に4ページほどの気候区分図が見られる。
 この気候区分図というものが梅棹氏の発想に影響を与えていたのではないか。杉本氏の文を引用してみます。
 

 私の手許に、一冊の古い地図帳がある。石橋五郎著『新制中等世界地図』、昭和八年二月、積善館発行。著者による巻首「例言」の日付は昭和七年一月。濃緑色のしっかりした表紙をそなえた縦長の袖珍本。この地図帳は、大正七年生まれの叔父が使っていた京一中の教科書。大正九年生まれの梅棹さんもこれを使われたはずである。梅棹忠夫が身につけた地理の基礎知識は、内容よくととのったこの地図帳に支えられている。そうにらんだうえで、中等学校の教科書が若々しい精神にもたらした作用の大きさ、深さについて、私は考えこむ――水に映るわが影をのぞきこんでいるナルシスを盗み見るように。  
『洛中通信』144ページ

洛中通信

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