「人、中年に到る」と軽快な老年

 晴れて最高気温9.6℃、最低気温4.3℃。
 まだコスモスの花は咲いている。花は北風に吹かれて揺れていた。 

キク科の一年草。高さ一・五〜二メートル。葉は細かく羽状に裂ける。秋、白色や紅色の花を開く。メキシコの原産で、観賞用。あきざくら。おおはるしゃぎく。  『大辞泉

 「コスモスを離れし蝶に谿(たに)深し
 辞典の引用句は水原秋桜子


 来月(1月)の新刊に、つぎの三冊が出るようだ。
 藤枝静男著『藤枝静男随筆集』(講談社文芸文庫
 吉田健一著『東京の昔』(ちくま学芸文庫
 片岡義男著『彼女が演じた役 原節子の戦後主演作を見て考える』(中公文庫)

 ちくま学芸文庫で出る『東京の昔』は、中公文庫版と同じなのだろうか。本棚から取り出して見ると、ちくま学芸文庫の256頁に対して、中公文庫版は入江隆則氏の解説を含めて212頁ですね。

 藤枝静男といえば、四方田犬彦著『人、中年に到る』(白水社)に、藤枝静男をめぐる回顧がありますが、「軽快な老年」という言葉に惹かれるものがありました。
 タイトルと同じ「人、中年に到る」という文で、

わたしはかつて藤枝静男という私小説作家に心酔していたことがあった。浜松に住む篤実な眼医者さんで、手紙を出すと、一度遊びにいらっしゃいと返事があった。そこでいそいそと会いに行ったことがある。そのとき印象に残っているのは、藤枝さんが、自分は老年になったとき二つ新しいことを始めたと、いささか得意げに語ったことだった。ひとつは威厳を演じるために口髭を伸ばすこと。もうひとつは、一人称に「わし」という語を用いることである。そこには、診断を受けに来る子供たちに対し、優しさと信頼感を兼ね備えた医師を演じてみせるという配慮も働いていたのかもしれない。だがわたしは、藤枝さんの年齢をめぐる明快な自己判断をすばらしいと思った。羨ましいと思った。この人は小説世界にあっては荒唐無稽な空想を自在に飛翔させ、時空を超越した無何有の地に遊んでいる。だが一生活者としては堅実に年齢の階梯を登り、それにふさわしい振舞い、佇まいをすることを忘れてはいない。(中略)
 しばらくして彼は『田紳有楽』という奇想天外な幻想小説を発表した。わたしは一読して、彼がいよいよ中年を脱して軽快な老年に突入したという印象をもった。  21〜22ページ

人、中年に到る