「しぐさ」と俳句

『文学界』2011年1月号

 新春の雑誌からの覚え書き。
 『文学界』2011年1月号、新春特別インタビュー・鶴見俊輔「二〇一一年を生きる君たちへ」で、鶴見氏が面白いことを語っている。

だけど、言語だけが問題ではない。言語の前に「しぐさ」がある。この問題を我々の中に導き入れたのは、多田道太郎です。彼は当時あまり取り上げられることのなかったルソーの論文「言語起源論」を詳細に説明した。つまり、言語と音楽とは一緒に起きる。それはしぐさだと。実際に、多田自身が『しぐさの日本文化』という本を書いているんだね。「しぐさ」にいちばん近い言語というのは、日本に今ある形でいえば俳句なんですよ。俳句というのはほとんど「しぐさ」と同根で、あるときにオケージョナルポエムとして出てくる。たとえば、「やせがえる 負けるな一茶 ここにあり」これはしぐさでしょう。*1
 そして明治以降に見逃されてきてしまった「しぐさ」に着目して日本をとらえた人といえば、多田よりも前に、フランス人ジャーナリストのロベール・ギランがいましたね。

  多田道太郎著『しぐさの日本文化』を本棚から取り出して読み出した。この本の面白さは「しぐさ」を介して文化をとらえる方法をエッセイというかたちで論じたからのような気がする。
 専門的な堅苦しいスタイルでもないし、それでいて文章に芸があるからでしょう。

*1:注記:この句は、「痩蛙まけるな一茶是に有」では?