昨夜のラジオ深夜便で、「素顔の子規〜正岡子規の楽しむ力」と題した坪内稔典氏へのインタビューを興味深く聴いた。
いくつか耳に残ったものの聞き書きです。まず、とても丁寧な構成で番組が作られている。
小学生の上級生くらいから仲間と回覧雑誌を出し始める。するとたちまちリーダーになる。
仲間を集めて、仲間に町に記事を取りに行かせる。言葉で表現し始めると、活動そのものが楽しいという風になっていくんです。
ひ弱な子規が強くなっていく。小学校の高学年くらいから、彼は仲間と一緒に楽しむという人だったと思います。
俳句や短歌をやるというのが、そうなんですよね。
俳句と言うのは今も句会というのが中心なんですね。
彼はすべて仲間と一緒にやる楽しむという文芸でした。
子規の日常というものが仲間と一緒にあるという感じでしたね。
言葉で表現するというのは、ひとりではなく、皆(みんな)とする。
楽しい墓誌。三十二歳のころに書いた子規の墓誌について。
自分のお墓の墓誌に、月給40円と書いたことの意味について語られる。
名前マニア、子規は一種の名前マニアであった。一つの名前ではなく幾つかの人格を生きた。
名前は仮面のようなものであり、名前を変えると人格が変る。
子規は、その名前の効果、すなわち名前によって新しい人格になることを楽しんだ。
いくつもいくつも名前を取り替えて。
中学生時代、五人の仲間と集まって漢詩を作っている。
年間100回も開いている。漢詩オタクだった。
集まってなにかをやるという楽しみに熱中している。
子規は野球という言葉は一生使ってない。
ベースボールという言葉を使っている。16歳の時に松山から東京へ出て行くんですが、野球の面白さはプレーしている人が楽しいんではなく観ている人も楽しめるのが面白い。
人が集まるためには核になるものが必要で仲間とともにやった。
作者自身がいつも仲間とともに開かれていた。
上野公園で野球をしょっちゅうやっていた。
子規は先生面(づら)を余りしないんですね。
句会では、みなが平等に議論するんですね。
内藤鳴雪という年上の参加者と議論したことがあったほど会では熱い議論が交わされたようですね。
病気を楽しむ。食べること、絵を描くこと。
晩年に、寝たきりなった頃に絵(水彩)を描くようになるんですね。小さな布団の中で絵を描いているんですが、子規の言葉でいえば、病気を楽しんでいるというのが、精神的に強いというのではなく、病人の憂さ晴らしでこうしている。
- 作者: 坪内稔典
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