測量とアメリカ

「サトチョンの翻訳日記」の「ピンチョン通信」によると、〈トマス・ピンチョン全小説〉次回配本『競売ナンバー49の叫び』の刊行が、震災によるインクと紙の不足で当初の計画から一ヶ月延びて7月になるそうだ。
 参照:「ピンチョン通信」http://sgtsugar.seesaa.net/category/8652448-1.html
    〈トマス・ピンチョン全小説〉http://www.shinchosha.co.jp/zenshu/thomaspynchon/
 《ニューヨーク州ロングアイランド生まれ。ピンチョン家はアメリカ最古の家柄のひとつで父は測量技師。
 トマス・ピンチョンの小説『メイスン&ディクスン』を読んでいる時に、偶然にも、鶴見俊輔著『たまたま、この世界に生まれて』(編集グループSURE)という本の座談会(インタビューによる鶴見さんへの聞き書き)で、鶴見さんの発言が、とても興味深かった。
 プラグマティズムをめぐる話題で、測ること、つまり測量ということがアメリカにとって重要なことだったという話です。

 注目した箇所は、

鶴見 (中略)つまり、測ること。アメリカ大陸というものに渡ってきたとき、ものすごくでかいところだから、イギリス人はとても困ったんだ。そうすると、まず測ることがビジネスになるわけ。大陸を測ることが、何十年もつづく国家事業になる。パースの親父はそれのボスで、息子のパースもそれで食っていたんだ。解雇されたけど。ミードも測量で食っていた。ヘンリー・デイヴィッド・ソローだってそうだ。測り屋なんだ。  132ページ 
 (中略)
 ともあれ、誰をとっても、USAの若い人にとって測るとは大事なことだった。 132ページ

鶴見  (中略)だから人間は平等でなければいけないとか、そういう系統の考え方とは違うんだ。"All men are created equal."(すべての人間は平等につくられている――アメリカの独立宣言)、ジェファーソンはそこから出てきた。だけど、プラグマティズムはそこから出てきたんじゃない、測量から出てきたんだ。手っ取り早く金がもうかる学生のアルバイトは何がいいか、そりゃ、測量だよ。で、みんな測量をやった経験がある。 133ページ

鶴見 測量は、アメリカ人にとってはじめから重要だった。だけどほかの民族にとってはそうじゃない。最初にアメリカに来た人たち、アフリカから出てヨーロッパ、中東、日本みたいな所を通って、ベーリング海峡は陸でつながっていたわけだから、そこを通って、カナダから、中央アメリカ、アルゼンチンまで行った人たちにとっては、測量なんて重要じゃないでしょう。自分はどこまで行くかなんて考えず、ただ歩いていった。あるところまでいったら、こんなものがあったって、絵文字で描いて伝えた。そのなかの一部はアメリカの中間地でとどまって、モーホーク族などになる。だけど、イギリスから来た人には、測量ははじめから大変だった。そういう民族はほかにいるのかね? 比較民族史としてとても大事だ。  133ページ