イトトンボと歌を売る

睡蓮(スイレン)

 五月の中旬の乾いた風の吹く日だった。
 夕方、公園の池に立ち寄る。池から十五メートルくらい離れた花壇を背にして、立ってギターを弾いている若い男がいた。

 その歌を聴きながら水面を眺める。睡蓮の花がひっそりと咲いていた。
 今年初めて見た。
 水面のあちこちにも睡蓮の花が散見された。
 気温が25℃を超えていたのだが、吹く風が乾いている。
 この日は雨あがりで、蒸し暑かった日に見かけた蛙たちは、池に一匹も見かけなかった。
 乾いた風が、蛙たちは苦手のようである。
 蛙たちが姿を隠しているので、池は静かで、別天地のようだ。
 鳴き声(?)を上げているのは、ギターを弾きながら自作の歌を歌っている人間が一人いるのみである。彼のまわりには歌を聴くものが一人もいない。
 池を囲む新緑の生垣に、おやっ、トンボがいた。イトトンボである。
 そっと、近づく。 

 トンボは、静かに、新緑の葉の上で眠るように止っている。
 体長が三センチほどの大きさで、糸のように細長いからだである。
 イトトンボを観察していると、いつのまに歌に惹かれるように、集まって来て腰を下ろして囲むように旅行者の十名ほどの娘たちが聴き入っているのだった。
 彼らに向かって歌っている男は、最近出したファースト・アルバムですと、CDを片手につかんで、彼女らの質問に答えていた。
 おや、おや、観客が現われた。
 腰を下ろして聴いている彼女らの中から、そのファースト・アルバムを買い求める者が何人か現われた。