「畑耕一文学資料展」雑感

 
 中島河太郎紀田順一郎編『現代怪奇小説集』1988年第1刷発行(立風書房)に、畑耕一の「怪談」が収録されています。
 16ページに、紀田氏によると、畑耕一の生年が、明治二十三年となっています。

 今回の「畑耕一文学資料展」に、自筆の履歴書が展示されていました。
 その履歴書には、生年は明治30年となっていて、新聞社入社は大正11年、松竹キネマ入社は昭和元年となっています。
 しかし、資料展の解説によると、自筆履歴書の記載内容は、実際とは異なっているそうです。

 生年(明治30年→実際は19年)
 新聞社入社(大正11年→実際は7年)
 松竹キネマ入社(昭和元年→実際は大正13年)

 『現代怪奇小説集』(立風書房)の巻末に、紀田順一郎氏の「日本怪奇小説の流れ」という「解説」で、畑耕一は、大正期の時代風潮を反映した作家の一人として言及されています。

 

 それはともかく、大正期の時代風潮を反映した作家としては、乱歩より稲垣足穂、松永延造、田中貢太郎、畑耕一、岡本綺堂らをあげるべきかもしれない。足穂の作風は、未来派的な指向性をそなえた幻想的寓話であり、松永の超現実主義的な作風とともに、この時代の先端的な思潮を色濃く反映している点が興味深い。二人はそれぞれ神戸、横浜という開港地で育ち、新しい感覚の洗礼を受けたというのも暗示的だ。このような環境から、日本で最初の本格的なファンタジー作家が生まれたのである。
一千一秒物語』にあらわれた足穂の硬質な、それでいて融通無礙のイメージ、『夢を喰ふ人』にあらわれた松永の綺想多面体としての心象。いずれも反リアリズム、反理性の文学の橋頭堡となるべきものだが、特異な環境と気質の生んだ一回性の文学として、彼らに続く系譜をもたない。
 畑耕一の活躍は大正中期以降で、この時代の知識人の、神経症的な不安感を息苦しい文体で描いている。といっても、足穂や松永のように斬新な感覚やスタイルを持たず、旧時代の怪異感覚が混入しているところに、過渡期の作家としての特徴がある。  682〜683ページ