「畑耕一文学資料展」雑感4

 

 「畑耕一文学資料展」で、大正11年(1922年)の「明星」9月号が展示されていた。
 展示された「明星」9月号を見ていると、畑耕一が「戯場壁談義」と題する劇評を書いている。
 帝劇に永井荷風の芝居を観に行ったときの感想なのだが、永井荷風の作と久米正雄の作とを比較している。
 畑耕一が、久米正雄の演劇「御家騒動の序幕」を観たときの感想を書いている箇所、その部分を引用してみます。


 七月一日、帝劇にゆきました。
 第一、現代劇「伯爵」の、第二幕目川原伯爵の書斎から見物しました。永井荷風氏の作です。
 主人公川原忠澄は、世襲の地位や財産があるため、いつまでも実社会の矛盾や不条理に対して煩悶やら憤慨やらを続けてゆかなければならない、若い伯爵なのです。それに芳町藝者小富がからんでゐるのです。いつか中央公論で、「暴君」と題するこの原作を読んだ時も、なんだかアマいものだと思ひましたが、かうして舞台(いた)にかけて見ると、役者が原作以上に間伸(まの)びにうごくため、一層調子がアマだれました。いや、こんな筋なら、久米正雄氏の極初期の作の、「御家騒動の序幕」(?)といふ戯曲のほうが、襖をあけると家令が腹を切って諌死してゐるなどいふ、屈託もなく見物を苦笑させる茶気満があって、おもしろかったと思ひます。
 亀蔵の扮した若い伯爵も変なものです。自分の生命としてゐる著述を出版できないといふ苦悶懊悩も、待合で酔っぱらって馴染みの藝者の膝に大の字なりに寝て、「小富、明日函根へゆかう
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*1:引用文の一部、旧字体新字体にして引用。