社を出れば十六夜の月上りけり

トノサマガエル

 8日が、二十四節気のひとつ白露だった。
 この頃より秋らしくなるのだが、三十度を越える真夏日がつづいている。
 通りの街路樹から蝉の鳴き声が、まだ聞えていた。
 この残暑で、公園の池の縁にトノサマガエルがいた。
 睡蓮の広がる水面に生えている葦(あし)に、シオカラトンボがとまっているのだった。

 夕方、十六夜(いざよい)の月が東の空に眺められた。地平線に近いためか大きく見える。昨夜の満月よりも美しい。
 
 明治二十六年の正岡子規の句に、「社を出れば十六夜の月上りけり」。

 老舗古書店の支店に寄る。店頭の均一本から、『別冊新評 筒井康隆の世界』1976年7月刊を買う。長谷邦夫の「?架空対談?筒井康隆と漫画を語る」が掲載されている。
 注目した箇所を引用しておこう。

 
 長谷 でも決定的な僕の作風というのは、筒井さんの『東海道戦争』の漫画化によって出来たと思うんです。あれは約二五〇頁になってしまい、四年間もかかってかきましたからね。とにかく、赤塚不二夫のマネージャーとアシスタントをしていましたから、猛烈に忙しく、会社から帰宅した後、内職のようにして製作したんです。ちょっと忘れられませんね、あの経験は。  147ページ
 筒井 ところで、長谷さんは、「東海道戦争」のあと「少年サンデー」に「アフリカの爆弾」をかきましたね。
 長谷 ええ、「東海道戦争」を六十ページずつ分載したいというのを、ぼくはイヤだと断ったんです。読者にどうしても一ペンに見てもらいたかった。音楽を途中でブッた切られるような気がしていやだったんです。それで、「アフリカの爆弾」を四十八頁でかかせてもらった訳です。 148
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