何事の心いそぎぞ秋の蝶

 
 秋日和で、通り沿いの花壇に蝶が舞っている。
 黄色い花弁(はなびら)に舞い降りた。
 ツマグロヒョウモンの雄かな。?
 明治二十八年の正岡子規の句に、「何事の心いそぎぞ秋の蝶」。
 もう一句、「馬糞に息つく秋の胡蝶かな」。

 8月、小学生・中学生・高校生のグループでの活動弁士によるアニメーション、『一寸法師 ちび助物語』を見た。
 その制作者・瀬尾光世について、うしおそうじ著『手塚治虫とボク』に触れられている。
 「第十章 漫画映画に殉じた人びと」にある「勃興記の邦画アニメを支えた人びと」の一人として紹介されている。
 邦画アニメの第一弾が一九三三年二月二十八日公開の大藤信郎の本邦初のトーキー漫画映画『蛙三勇士』で、一ヵ月余り後の四月に、松竹蒲田撮影所長・城戸四郎が個人の責任で製作したというトーキー漫画第二弾『力と女の世の中』が、原画監督・政岡憲三で松竹作品として公開封切された。
 その動画のスタッフのひとりに瀬尾光世がいた。
 うしおそうじによると、一九四三年公開封切の漫画映画『桃太郎の海鷲』(三十七分)では、瀬尾光世が作画、演出、撮影を兼ねて、作画枚数十万枚といわれるうちのかなりの枚数を自身でこなしている、と言う。
 《実際、瀬尾はもの凄い早描きだったそうである。》  205ページ

手塚治虫とボク

手塚治虫とボク