冬のモンゴル2

 磯野富士子著『冬のモンゴル』を読みつづける。
 昭和十九年十一月二十四日。
 絶好の飛行日和に張家口より貝子廟へ、三千メートルちょっと上の高度を飛行し、モンゴル高原の貝子廟へ着陸します。
 滑走路は高度計が千メートルちょっと切れたところを指している。
 飛行場で見た光景に、
 《傍の小屋で大蒙公司(モンゴルから毛皮・羊毛などを買いつけ、布地・茶などを売る商社)の出張所から迎えに来て下さるのを待つ。顔も鼻もいかにも平たい感じのする人と、もう少し顔の高低のはっきりした人と、二人のモンゴル人が長いきせるで煙草をのんでいた。
 しばらくして、さっき乗ってきた飛行機が満州(現・中国東北部)の方へ向けて出発する音に外へ出て見ると、日本の女の人が十人ばかり飛行機をおくりに来ている。すぐわきに十歳くらいのモンゴル人の男の子がいた。羊の毛皮を裏返しに、つまり毛の方を内側にしたモンゴル服に空色の帯をしめている姿は、汚れてはいるけれどおとぎ話のようにかわいらしい。》  16〜17ページ

 ハスチョロー監督の映画『草原の女』でソルの息子のアヨール(九歳くらい)が着ている服が、この羊の毛皮を裏返しに、つまり毛の方を内側にしたモンゴル服であったようだ。
 この日は、大蒙公司Iさんが牛車を二台つれて来て、荷物をのせて、私(筆者)にも乗るようにとのことで、牛車に乗って一キロ足らずの大蒙公司に着いたのでした。

 《Iさんのお部屋で休ませていただいて、拝借する部屋の支度ができるのを待つうちに三時のニュース。雑音が多くてはっきり聞えないのだが、東京にアメリカの飛行機が七十機も来襲したとのこと。はじめての本格的な空襲らしい。どこへ爆弾がおちたのかしら、といくら考えてみたところで、どうにもなりはしないのだけれど。
 (中略)八時すぎ部屋へ帰って寝る。犬がコンコンと特有ななき方をして、モンゴルの夜は静かだ。》  18ページ

 内地の東京にアメリカの飛行機が七十機も来襲という三時のニュースを聞いてこの日は過ぎてゆきます。