のんき新聞と『小説昭和十一年』

 3日は節分。恵方巻を食べる。底冷えのする一日で、朝の最低気温−2℃、最高気温は6度。ぶるぶるっ。
 前日からの雪もようで早朝は白く覆われていた。快晴で陽射しは強く空気が乾いている。

 4日は、二十四節気のひとつ立春である。
 のんき新聞社より「のんき新聞」23号が届く。ありがとうございます。今回も震災・原発特集。
 読者欄やのんきご意見板が楽しい読物です。
 表紙絵は勝川克志さんによる絵です。ミニコミですが、購読希望の方はのんき新聞社へどうぞ。

  
 二月になったからという訳ではないが、『小説昭和十一年』を読んでいる。
 この小説の冒頭は、

 

 昭和十一年の二月の東京は、じつによく雪がふった。
 四日の午後からふりだした雪は、夜にはいって吹雪となり、積雪三十センチをこえた。市内電車が運転を中止し、随所で停電し、電話も不通となった。木挽町歌舞伎座の夜の部の客たちは帰宅の足をうばわれ、枡席に折りかさなって仮眠した。
 新聞によれば、明治十六年以来五十三年ぶりの大吹雪であった。帝都大東京はために機能を麻痺し六百万の市民がいっせいに渋面をつくった。ただし例外もあって、ルンペン約二万人が臨時の除雪人夫にかりだされ、半日の労賃が一円ナリの、おもわぬ除雪インフレに微笑(ほほえ)んだという。三日後の七日にも小雪がまい、八日にもまたふり、その半月後の二十三日には、未明から日中をふりこめて積雪三十五・五センチと記録された。
 その三日後の二十六日未明から、またもや雪がちらつきだした。眠れる東京市民の太郎の屋根にも次郎の屋根にもふりつもった。雪はしだいに本降りとなり、これは三十年ぶりの大雪であった。大東京はこの日ふたたび機能を麻痺した。 1〜2ページ

 
 この本は昭和44年12月初版発行で三省堂から出ています。
 著者は小沢信男。銀座の西はずれにある虎屋自動車商会というハイヤー業を営む牧野虎三一家の昭和十一年を描いているのですが、当時の世相を分かりやすく具体的に工夫をこらして書いている。小沢信男さんの自伝小説でしょうね。

小説昭和十一年 (1969年) (Sanseido books)

小説昭和十一年 (1969年) (Sanseido books)