シダレヤナギと「最終講義」


 20日は二十四節気のひとつ春分で、街路樹のシダレヤナギの花が咲き始めている。
 白梅は満開を迎えていてほんのりとした良い香りに包まれているが、桜はまだつぼみである。
 ソメイヨシノは平年より五日ほど開花が遅れるようだ。
  

ヤナギ科の落葉高木。枝は垂れ下がり、細長い葉をつける。雌雄異株。早春、黄緑色の花を穂状につける。日本には古代に中国から渡来。垂楊(すいよう)。糸柳。しだりやなぎ。  『大辞泉

 『植草甚一 ぼくたちの大好きなおじさん』(晶文社)の付録のCD「植草甚一の声」を聴く。
 1976年収録のインタビューは、聞き手が鍵谷幸信である。聞いていて、鍵谷幸信に『西脇順三郎』(現代教養文庫)という本があるのを思い出した。
 西脇順三郎の詩の世界への入門書で、鍵谷幸信さんが西脇順三郎の詩に脚注を入れている。
 西脇順三郎作品に流れているおかしみと淋しさの情緒が微妙に混じって詩人の実感がにじみ出ているのを解説している。
 『豊饒の女神』昭和三十七年八月、思潮社刊。
 この詩集に収録の「最終講義」という詩への鍵谷幸信さんの解説が興味深い。
 「最終講義」という題の詩は、鍵谷幸信さん自身の個人的な思い出がある作品なのだ。
 
  解説を引用してみます。

 ところで詩「最終講義」はその時の詩人の心の状態を詩化したものである。この作品には実はぼくは個人的な思い出があり、ひとしおなつかしい作品であるので、いくぶん楽屋話めくが、この詩の成立をつぶさに目撃しているのでここで書きとめておきたい。この詩ではこれから最終講義をやらなくてはならぬように書かれているが、これを書いたのは一月二十七日に講義を無事すませ、西脇が安堵した後に実際は起稿されたのである。二月三日のおそろしく寒い日、西脇とぼくは文京関口台町の佐藤春夫を訪ね、しばらく懇談した後、佐藤邸を辞し、目白の日本女子大で、「二人は歩いた」のあのけなるい縮緬のシャツを着ていた渋井清と落ち合ったのである。西脇は近くの鬼子母神で昭和の初め頃雀焼きをたべたことがある、といい食べに行こうということになった。行ってみると雀焼きなどなく、それではということになり車にのって王子を経て葛飾の柴又へ走った。小菅刑務所や当時あった幽霊煙突をみながら雲一つない晴れた冬の日を車で走った。柴又につき帝釈天を拝み、川魚料理屋「川甚」に上って、鯉のアライと鯉こくとウナギを食べた。部屋の窓から江戸川が夕陽をうけて光り出し、われわれの眼を眩ませた。それから再び車で日本橋を経て銀座に出た。 124〜126ページ