「最終講義」のこと

前回引用した鍵谷幸信・編著『西脇順三郎』(現代教養文庫)の西脇順三郎の詩「最終講義」についての鍵谷幸信の脚注のつづきです。
 
 (・・・柴又につき帝釈天を拝み、川魚料理屋「川甚」に上って、鯉のアライと鯉こくとウナギを食べた。部屋の窓から江戸川が夕陽をうけて光り出し、われわれの眼を眩ませた。それから再び車で日本橋を経て銀座に出た。)とある箇所の後半です。

 《途中夕陽を背に浴びながら銀座を目ざした。あの時みた夕陽の美しさは忘れ難く、モネーの夕陽以上にすばらしいものだった。西脇詩人は銀座まで終始居眠りをしていた。日本劇場の地下にその頃「アルビオン」というセミヌードのホステスがいるバアー兼喫茶店があった。そこで少し休んだのだが、渋井清は古里へ帰った気分で、大いにはしゃぎゴーゴーなどを踊っていた。それから新宿へ出て角筈にあった「キューピドン」というキャバレーの二階へ上り、ホステスと世間話をし、さらに厚生年金会館の前にある「キーヨ」という詩人の白石かずこや黒人もたむろしているジャズ喫茶へ行った。西脇や渋井のような老人はこんなところにあまりこないので、若者が変な顔をしてわれわれの方をみていた。そこを出て二丁目の飲み屋「吉田」へ行き、冬の日のために乾盃して三人は別れたのであった。
 これがこの「最終講義」のセッティングのあらましである。これを知ると(もちろんそんなことは作品とは関係なく、作品はそれ自体で独立している)、案外西脇の詩もあたり前のことを書いているということがわかるだろう。決して奇想天外なことで詩を埋めているわけではない。西脇の詩は詩人が経験したり体験した事実がいつも土台になっている。》 126〜128ページ

 このあと、一語一語詳細に西脇詩の説明がつづくのですが、この脚注が面白く随筆のような自在さです。
 上記に、「キーヨ」という詩人の白石かずこや黒人もたむろしているジャズ喫茶へ行った、という箇所があります。 
 
 CD「植草甚一の声」で、1976年に鍵谷幸信植草甚一へインタビューしている。
 ジャズ愛好家の二人が談笑している録音が今では貴重に思えます。
 渋井清は脚注(解説)によると、浮世絵専門家とあります。