『樹上の猫』を読む


 一昨日の南からの強い風で一時気温が上ったが、昨日より北西の風に変わり、朝晩が冷え込む。
 四月は花冷えではじまった。桜はまだつぼみ状態だ。
 公園に青いシートを敷き、花の咲いていない桜を囲んで花見をしている人々を散見する。
 シダレヤナギの花がいっせいに咲いた。ハクモクレンも咲いた。
 青空にハクモクレンの大きな白い花びらが鮮やかだ。
 

モクレン科の落葉高木。三月ごろ、香りのある白い大きな六弁花を開く。萼(がく)は三枚あり、花びら状。葉は倒卵形。中国原産で、庭木とする。玉蘭。白蓮(はくれん・びゃくれん)。  『大辞泉

 与謝蕪村の句に、「さくら一木(ひとき)春に背(そむ)けるけはひかな」。


 北村太郎の『樹上の猫』を読んでいると、興味深いエピソードがあった。
『東京昭和十一年 桑原甲子雄写真集』(晶文社)に初出の「大勝館」と「雪の六区」という北村太郎のエッセイに、
 《大勝館というのは懐かしい小屋である。わたくしが三商の一年生のとき、『会議は踊る』を見てうっとりしたのは、この小屋においてであった。》
 《わたくしの家は、大勝館から歩いて一、二分の、合羽橋通りにあって、父はそばやを経営していた。》
 《昭和十二年の浅草で、大勝館について懐かしいのは、吉本系の花月劇場である。川田義雄が、「あきれた・ぼういず」を結成する少し前で、わたくしの店では六区のほとんどの小屋に出前をしていたから、この花月劇場もおとくいの一つであった。わたくしは川田義雄にもかわいがられたが、町田金嶺(きんれい)というバリトン歌手とも顔なじみで、よくただで花月の小屋に入れてもらった。町田金嶺は奥さんを連れてわたくしの店へも頻繁にかよった。この奥さんがたいそうな美人で、当時の日活の女優、近松里子であった。口かずの少ない、品のいい女性で、うちの店の者たちは、ひとしく彼女に好感を抱いていた。金嶺さんはわたくしの顔を見ると、「ぼうや、行こう行こう」と呼びかけ、花月劇場のステージドアへ案内して可愛い踊り子たちに「**庵の若だんなだよ」と紹介してから、オーケストラのボックスにわたくしを入れるのだった。川田義雄も同じようにわたくしを花月へ連れ込んで歓待した。》*1

樹上の猫

樹上の猫

*1:注記:戦後、川田義雄川田晴久に改名している。