『白頭山の青春』2

 1940年の夏に白頭山に登った梅棹忠夫さんと、そのとき機会がありながら健康上の理由で参加できなかったが、44年後、中国側からこの山に登頂して、青年時代の宿願を果した吉良竜夫さんとの対談が興味深かった。
 梅棹忠夫・藤田和夫編『白頭山の青春』に対談がある。
 白頭山のある地域での植物の植生について、二人の対談の「長白山と朝鮮族」から引用すると、

 

梅棹 そこはそうやけど、わたしが歩いた経験からいうと、二道白河沿いにずっとおりていくところの植生は、針葉樹林もあるけれど、落葉広葉樹林が多いのよ。ちょうど白頭山から帰ってきたときに、『ウスリー地方探検記』というロシアの探検家のアルセニエフが書いたウスリー地方の紀行の訳がでてた(註)。のちに黒澤明がつくった映画『デルス・ウザーラ』の原本です。それを読んだら、まったくそのままや。白頭山は、まるでウスリーなんや。
 吉良 わたしもそう思った。あれは、まったくアルセニエフの世界ですね。
 梅棹 東へ行けば行くほど植生がまったくウスリー的になっていく。西のほうは、どっちかというと針葉樹林的なところが多い。
 吉良 長白山では、森林限界が海抜二〇〇〇メートルちょうど、それから一七〇〇メートルまで高度差三〇〇メートルほどのあいだ、ダケカンバがある。
 梅棹 そうそう、滝からおりて、しばらくはダケカンバがあった。
 吉良 その下は、エゾマツ、トウシラベの常緑針葉樹林帯で、一一五〇メートルまで、そこでチョウセンマツと落葉広葉樹がまじった林になる。それが海抜七五〇メートルの二道白河までつづくわけです。チョウセンマツにあらゆる木がまじってるね。
 梅棹 ナラが多い。
 吉良 多いけれども、モンゴリナラばかりと違って、じつにいろんな木がまじってる。カエデの種類が多くてきれいやった。九月二〇日過ぎだったんですけど、満山紅葉でしてね。すばらしかった。  
195〜196ページ  

 注記によると、梅棹さんの読んだウェ・カー・アルセニエフの『ウスリー地方探検記』は、1940年4月、満鉄社員会叢書第四〇集、満鉄調査部第三調査室・訳です。
 戦後、アルセーニエフ著 長谷川四郎訳『デルスウ・ウザーラ――沿海州探検行』(東洋文庫)で1965年、2月、平凡社から刊行されています。
 また、《おなじ内容の本は、一九五二年一二月に「ウスリー紀行」という書名で世界探検紀行全集第一〇巻(河出書房)として刊行されている。》との注記もありました。

白頭山の青春

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