「転々私小説論」

 多田道太郎の「転々私小説論」を読む。
 『群像』2001年4月号である。
 無声映画小津安二郎の映画に『東京の合唱(コーラス)』(1931年、松竹キネマ、90分、白黒、無声)という映画がある。
 昨年、活動弁士佐々木亜希子さんの活弁でこの映画を観たのだった。
 松竹キネマ(蒲田撮影所)の製作で、岡田時彦、八雲恵美子、斎藤達雄飯田蝶子、子役で高峰秀子が出演している。
 岡田時彦の娘が女優の岡田茉莉子さんで、映画では高峰秀子岡田時彦の娘の子役として出ている。

 それはさて置き、多田道太郎の「転々私小説論」(三)「飄逸の井伏鱒二」を読むと、なんと映画『東京の合唱(コーラス)』は、井伏鱒二の小説が原作であるという指摘をした安岡章太郎著『わたしの20世紀』を引用しながら論じている。


 その箇所を、転々私小説論(三)から引用すると、

 井伏鱒二の短篇には「エロ・グロ・ナンセンス」がたっぷりあります。民俗学者の影響を見ている人もいるけれども、柳田国男宮本常一は別として、並みの民俗学者と一線を画してはっきり違うのは、井伏鱒二は現代風俗研究の先駆者でもあるということです。『仕事部屋』(昭和六年、春陽堂)の中にいくつか短篇が採録されていますが、その中の「先生の広告隊」は、昔の恩師がノボリを立てて広告ビラを配って歩く話で、いわば現代風俗的な、つまり都市風俗小説です。これにはとても感心しました。
 小津安二郎が、同じ年に同じテーマで『東京の合唱』という映画をつくっています。映画は斎藤達雄の主演です。これを戦後ビデオで発見したのは安岡章太郎です。安岡さんは、「おおらかな貧しさ」の章で、映画俳優をしていた石山龍嗣は、井伏、小津の共通の友達だったから、その話は小津にも井伏にもいったのではないかと書いている(『わたしの20世紀』平成十一年、朝日新聞社)。盗作ではなくて、アイデアのもとが石山龍嗣だったというわけで、これは井伏、小津御両所への礼賛だと思います。おおらかな解釈ですね。正直、ぼくは感心しました。感激しました。  
『群像』2001年4月号 214ページ