多田道太郎の「転々私小説論」(三)「飄逸の井伏鱒二」で、山中貞雄の映画についてふれています。
昭和五年前後の大不況の時代は、流行の風俗として見れば、どのようなものだったのか。
多田さんの話はつづきます。
当時、昭和一けた台のはやりの風俗として見れば、映画と小説の間をアイデアが自由自在に飛び交っていた。最近ぼくは山中貞雄論みたいなものを書きましたが、映画や小説で集団制作を本気でやり出したのが昭和五年前後の大不況のときです。石山龍嗣が映像作家と散文作家との間に同時代人として出てきたのは、単なる偶然ではない。現代風俗の二人の旗手の間にいたのが石山龍嗣という奇才だと思います。
山中貞雄、八尋不二など数人の監督、シナリオライターが自由自在のグループをつくり、称して鳴滝組といった。連中のワイワイガヤガヤのなかから、笑いが弱者の武器だという時代への抵抗が生れた。
当時の「キネマ旬報」に山中貞雄を論じている評論があるのですが、その中で一人、井伏鱒二の世界にそっくりだといって、井伏鱒二の「家庭装飾」と、二つ、三つの名を挙げていました。これを書いたのは無名の人ですが、昭和九年に書いている。
山中貞雄の作品を当時の「キネマ旬報」で論じている評論に、井伏鱒二の「家庭装飾」と二つ、三つの作品がそっくりだと書いている無名の人がいると、多田さんの話は転々とつづきます。