「転々私小説論」を読む4

 多田道太郎の「転々私小説論」(三)「飄逸の井伏鱒二」で、安岡章太郎著『わたしの20世紀』の「おおらかな貧しさ」の章に、小津安二郎の映画『東京の合唱』と井伏鱒二の「先生の広告隊」との類似にびっくりした経緯が述べられている。
 それで、『わたしの20世紀』を見ると、

 

昭和六年といえば不況期のどん底で、小学生の私たちも、失職とかクビとか二六時中、そんなことばかり聞かされていた。そのくせ、あの頃の日本人の野球も暮し向きも、いまほどとはコセコセせず、おおらかに貧乏しながら。精神野球をおっとりと愉しんでいた。昭和六年八月には、井伏鱒二の『仕事部屋』が刊行され、同年同月、小津安二郎の映画『東京の合唱』が帝劇で封切になっている。
 ところで私は最近、ビデオで『東京の合唱』を見て妙なことを発見して驚いた。この映画の主要な部分が、じつは『仕事部屋』に収められた短編『先生の広告隊』にそっくりなのである。『東京の合唱』の主人公(岡田時彦)は失業して、毎日、アテもなく職探しに街を出歩いていると、中学時代の体操教師(斎藤達雄)に出くわす、という話だ。  『わたしの20世紀』39ページ

 以下、井伏鱒二の「先生の広告隊」からの引用があり、安岡さんは、

 

では、どうして『東京の合唱』は細部に及んで井伏氏の小説に似てしまったのか? 思うに、石山龍嗣のせいかもしれない。石山氏は、井伏氏と失業中の下宿仲間といった間柄の人らしい。後に松竹蒲田の俳優(準幹部)になると、井伏氏を「荒涼たる野辺の人」と呼んで、しばしば女優をつれて井伏氏の下宿にあらわれ、井伏氏の小説を女優の前で朗読したりする。それで私は、『先生の広告隊』はおそらく石山氏の実見談であり、石山氏はそれを井伏氏に話すと、また別の所で小津氏や北村氏にも話してきかせたのではないか、と想像する。  42ページ 

 以上のように安岡さんは、小津氏と井伏氏の作品の間に、石山氏の介在を、おおらかな想像で力説している。*1
 これを受けて、《これは井伏、小津御両所への礼賛だと思います。おおらかな解釈ですね。正直、ぼくは感心しました。感激しました。》と、多田道太郎さんは述べていらっしゃる。

わたしの20世紀

わたしの20世紀

*1:注記:北村氏、『東京の合唱』の原作者に井伏鱒二という説明はなく、原案・北村小松、脚色・野田高梧となっている。(本書より)