最高峰にのぼる3

 タイの最高峰ドーイ・インタノンに登る登山隊は、ベースキャンプのメー・ホーイの村で、ウマを傭(やと)う。
 だがやってきたのは、
 《四日の午後、ウマが着いた。わたしたちの傭うウマである。六頭来た。みんな小さいウマだ。一頭だけがほんとうのウマで、あとはラバである。四頭は鞍をつけ、二頭はかごをつんでいた。》梅棹忠夫著『東南アジア紀行』(205ページ)
 
 庭にゾウが来ているのを見て、
 《わたしたちは、いちおうウマで荷物をはこぶ手配をした。しかし、ゾウが傭えるものなら傭って見よう。それもおもしろいではないか。》(205ページ)
 それでゾウを二頭傭う。
 「さあ、出発だ」
 村を出て、谷川を渡渉する。
 一月のタイの山を歩きながら、《それにしても、なんと日本の秋山に似ていることだろうか。まさに、中部日本における落葉樹林帯の晩秋である。》
 《しかし、秋ではない。冬なんだ。これが雨緑林の冬なんだと、わたしは自分に言いきかせる。だが、奇妙なことには、わたしの体感は科学的認識をもう一ぺん裏切る。この暑さはどうだ。暑さからいえば、これはやはり、日本の夏山である。わたしはすこし、気が変になる。秋か? 冬か? 夏か? いったい、いまは何の季節なのだ。 
 昼まえ、大きな谷川のほとりに出た。メー・クラーンの滝の上流である。黒い岩盤の上を、清らかな水がすべっていた。わたしは、どこか日本アルプスの谷にきたような錯覚をもった。》(207ページ)

 タイの最高峰ドーイ・インタノン、山に入ってみると、高くはなくとも山が深いと気付く。
 山に入って、川の対岸に小屋があって、ゾウ使いが住んでいた。
 登山隊は二頭のゾウに、五〇キロほどのウマの荷を積みかえる。
 森林はしだいに深くなり、平原の住民とは異なる「森の精霊たち」と遭遇する。
 その日、川岸の森の中にテントを張っていると、「森の精霊たち」が何人もやって来た。
 カレン族の子どもたちやソップ・エップのカレン部落のしゅう長だった。
 カレン族との意思疎通は、日本語→標準タイ語→北部タイ語→カレン語と三重通訳で達する。
 返事は、その逆の道順で達する。

 先日のタイ映画、ヘーマン・チェータミー監督『メモリー 君といた場所』(2006年)に、山岳の渓谷や滝や樹林のシーンが多くあった。
 梅棹忠夫著『東南アジア紀行』を読むと、登山隊が登っていくドーイ・インタノンの森林が、《それにしても、なんと日本の秋山に似ていることだろうか。まさに、中部日本における落葉樹林帯の晩秋である。》と記している。