辻まことのユーモア

 辻まことアンソロジー『山中暦日』(未知谷)の編集・解説の柴野邦彦氏が辻まことについて、「居候で候」と題して書いている。
 それによると、
 《幼い頃から父母の庇護を受けられなくなった辻まことは、居候として成長した。
 その経歴についてはあちこちに詳しく書かれているが、初めて辻まことに接する読者のために簡単に記すと、一九一三年生まれ、一九七五年没。母親は婦人解放運動家の伊藤野枝、父は思想家でダダイズムの中心的存在だった辻潤。まことが三歳の時、野枝は家を出て無政府主義者大杉栄と同棲。のちに大杉とともに憲兵大尉、甘粕正彦関東大震災の混乱の中で虐殺される。まこと十歳。この前後の話は何度も小説や映画にもなっている。父親の辻潤は野枝の出奔後放浪生活をしたので、まこと少年は祖母や叔母など親戚の間で成長するのである。(中略)
 十五歳の頃、絵描きになりたくて、読売新聞の特派員としてパリにいく父親について渡欧。ルーブル美術館を一か月拝観するにおよんで、すっかり絶望し、絵描きをやめるつもりになる。一年後帰国。以後ペンキ屋、図案屋、化粧品屋、喫茶店などを転々として、最後に友人二人と金鉱探しに夢中となって東北信越の山々を歩き回る。その間、父親はまた放浪生活を始め、しまいに精神に異常をきたす。以後、結婚、戦争、中国での従軍を経て終戦、復員となる。

 特に戦争体験は辻まことに大きな影響を与えた。研ぎ澄まされた居候の眼はここで起きたことに慣れることも、閉じることもできなかった。それは人間へのさらなる徹底した不信を植え付けることになった。その後、そこから自分を解き放つことが彼にとっての大きな仕事になった。
そうして、辻まことは自分の山を発見する。山中暦日を重ねることが自分にとってどれほど必要なことかを認識するのだ。この本の山の話を読むと、彼の山の中での自由が判ってもらえるだろう。この新たな発見は同時に辻まことにあらゆる分野で才能を開花させることになる。自分の自由を取り戻した辻まことは、自分の中の怒りや、不信をユーモアの形で解き放った。日々を楽しむためには手間を惜しまず、誰もがその才能を認めた。こうして辻まことは本当の居候、地球の居候となった。  182〜185ページ
 収録作品の「多摩川探検隊」、「無法者のはなし」などを読むと、辻まことが自分の中の怒りや、不信をユーモアの形で解き放ったということがよく分かる。

 柴野邦彦氏は、また次のようにも言っている。
 《矢内原伊作氏は慧眼にも、辻まことの絶望や怒りの呪縛から彼を解き放ったものはユーモアと山登りであった、と言った。私も同意見だ。  189ページ

山中暦日―辻まことアンソロジー

山中暦日―辻まことアンソロジー