宜野座菜央見著『モダン・ライフと戦争』2


 師走、イチョウの黄葉が見ごろである。
 最高気温14℃、最低気温4℃。
 一茶の俳句に、「うかうかと出(いづ)れば日暮紅葉哉」。文化元年の句です。
 
 宜野座菜央見著『モダン・ライフと戦争』を読みつづける。
 紹介されている映画に、「サイレントからトーキーへ」の無声映画末期にあたる三〇年代前半の話が興味津々である。 
 「あとがき」に、著者の思いが語られている。一部を引用してみる。 

 今日、近代美術館フィルムセンターや映画研究者のおかげで映像修復・文献復刻が進んでいる。だが日本近現代史の研究者が映画に接近することはまずない。映画というのは視聴覚性が魅力的であっても史料としてはやけに頼りない代物であるからだ。戦前の映画となれば、フィルムが現存していても厳密に確定できる情報は大幅に限られ、複数のソースでの確認が叶わないことが多い。あまた存在した映画雑誌の致命的な欠号を嘆き、誤記に悩まされる。検閲に関する事柄さえ蓋然性のレベルに留まりがちである。さらに、研究目的に即したアプローチを検討することが容易でない。
 でも、だからと言って、映画に向き合わないというのは残念なことである。監督、俳優、製作スタッフ、そして観客、人は皆この世を去る。だが映画はタイム・カプセルとして登場人物の笑いも怒りも溜息も新鮮なままに伝えてくれる。映画は二〇世紀を伝える史料なのだ。特定の専門的知見を備えた研究者だけでなく、二〇世紀の経験を考察するあらゆる方々に映画を見ていただきたい。各人の関心分野から見るだけでも喚起される事柄は少なくないはずである。  「あとがき」  221〜222ページ>