高槻真樹著『戦前日本SF映画創世記』を読む4

 高槻真樹著『戦前日本SF映画創世記』の「第十章 破滅前夜の宴」が、1940年の二本のSF的作品としてマキノ正博監督の映画「続清水港」と山本嘉次郎監督の映画「孫悟空」前後篇の二本を採り上げています。*1
 山本嘉次郎監督の映画「孫悟空」前後篇は榎本健一を主役にした作品で、以下、余談になりますが、「孫悟空」に中村メイコさんが子役で出演していますね。
  
 中村メイコ著『メイコめい伝』によると、

 私が初めて映画に出演したのが二歳八ヵ月のときです。(中略)
 私が、映画に出るようになったのはアサヒグラフに父が私を抱いた写真がのったからなのです。*2
 というのは、昭和十一年の秋、横山隆一さんのマンガ「江戸っ子健ちゃん」が映画化されることになり、主役の男の子「フクちゃん」を演じる子役をさがしていたところ、たまたまアサヒグラフを見ていたスタッフが、
「この子だッ」
 と、フクちゃんそっくりだった私をみつけ、間もなくPCL映画の森岩雄さん(東宝重役)から出演交渉があったとか・・・・・・。
 (中略)
 私の映画出演については両親はずいぶん迷ったようですが、おもいのほか本人は乗り気で、カメラテストなどやらされても全然ものおじすることなく、注文通りに笑ったりベソをかいてみせたということです。
 PCL映画には、当時徳川夢声さんをはじめ、丸山定夫さん、岸井明さん、竹久千恵子さん、堤真佐子さんたちがいまして、作品はほとんど喜劇でした。
 だから、気難しい父も私の出演を許してくれたのではないかと思います。父は、いつも、「悲劇はいけませんゾ。人生は喜劇的でなければなりません」
 と私たちにいっておりました。父の人生訓というか哲学だったのでしょう。  103〜104ページ

 映画「孫悟空」については、

 

 また、映画出演もフクちゃんだけのつもりでしたが、(中略)
 その後「南風の丘」「エノケンのワンワン大将」「ロッパの駄々っ子父ちゃん」「孫悟空」「島は夕やけ」「音楽大進軍」「豪傑人形」「楽しきかな人生」「小島の春」・・・・・・と、一年に二、三本の映画に出て、モノゴコロつく年齢のときには、既に子役スターとして有名になってしまったのですから、私にとってはだれにでもあるはずのあたりまえの幼年期が、まったく存在しなかったのです。  106ページ

メイコめい伝

メイコめい伝

*1:注記、「続清水港」 改題短縮版のタイトルが、「清水港代参夢道中」です。

*2:注記、父は、中村正常。