子規の徒歩旅行

 月刊『波』8月号の連載「子規の音」(森まゆみ)の第七回「菅笠とかくれみの」を読む。
 明治二十四年の正岡子規の一年を描いている。
 この年の子規は旅行が多い。
 森まゆみさんが、冒頭、つぎのように書いている。
 《明治二十四年という年は正岡子規にとって、転換の年となったのではあるまいか? 》  94ページ
 
 《よく旅をする年になった。三月二十五日、心の曇りがちな子規は一人、房総に旅立つ。二年前、親友夏目漱石が夏休みに房総を旅して「木屑録」(ぼくせつろく)を書いたのにそそられたのか。「かくれみの」という紀行文がある。漢文で旅程を書き、その日その日の句を綴る。いや短歌、漢詩、英文詩まで書き付けた。》  95ページ

 森まゆみさんの記述に従うと、子規はつぎのようなコースをたどっている。

 二十五日、眼鏡橋(これは万世橋のもとの姿)→両国橋→市川(朝食をとり菅笠を買う)→八幡→船橋大神宮→大和田「榊屋」で一泊。
 二十六日、臼井→佐倉→成田山新勝寺→酒々井(しすい)→馬渡「上総屋」で一泊。十一里を歩く。
 二十七日、千葉→潤井戸→長柄山「大黒屋」に泊まる。
 二十八日、大多喜の酒井屋に泊まる。
 二十九日、小湊誕生寺→安房小湊に至る。
 三十日、和田→平磯の山口屋に投宿。
 三十一日、七浦→野島崎(野島崎灯台)→館山泊。
 四月一日、那古の観音堂→鏡ヶ浦→保田に宿泊。
 四月二日、鋸山(のこぎりやま)の羅漢寺の幾百の石仏を見、船で東京へ帰った。*1

*1:羅漢寺というのは、日本寺のことではないかしら。