子規の徒歩旅行2

 月刊『波』8月号の連載「子規の音」(森まゆみ)の第七回「菅笠とかくれみの」を読みつづける。
 第七回「菅笠とかくれみの」は、正岡子規の明治二十四年をたどっているのだが、三月二十五日から四月二日にかけて房総旅行で、子規は二十六日に十一里も歩いている。
 おおよそ四十四キロメートルですね。足にまめができ、肩が凝ったというのも分かります。

 子規の房総旅行の後半は、つぎのようなコースと宿泊地です。

 三十一日に、七浦から野島崎(野島崎灯台)をまわって館山泊。
 四月一日に、那古の観音堂、鏡ヶ浦などをへて保田に宿泊。
 四月二日、鋸山(のこぎりやま)の羅漢寺の幾百の石仏を見、船で東京へ帰った。
 
 この部分は森まゆみさんは、つぎのように書いています。
 《翌二日、鋸山(のこぎりやま)の羅漢寺の幾百の石仏を見、船で東京へ帰ったが、金谷か木更津から霊岸島辺りにつく船があったのであろう。》  97ページ

 この羅漢寺というのは、日本寺のことでしょうか。
 余談ですが、最近読んだ本で、全国の百低山(そんなに低山とは思えない標高の山もある。)を選んでまとめたイラスト満載のガイドブック、小林泰彦著『日本百低山』に、この鋸山のお寺のことが書かれていました。
 子規の歩いた房総旅行は、今でいう南房総国定公園一帯を徒歩でたどっていたわけです。

標高1500メートル以下の名山100プラス1 日本百低山 (文春文庫)

標高1500メートル以下の名山100プラス1 日本百低山 (文春文庫)