「一冊の本」から

 晴れる。最高気温16℃、最低気温13℃。
 西高東低の気圧配置で西風が強い。

 雑誌「一冊の本」2014年12月号で、貴田庄の連載「志賀直哉、映画に行く」が最終回だった。
 最終回では、志賀直哉が個人的につき合った映画監督について書いている。

 《志賀は伊丹万作と「赤西蠣太」を通じて面識を持った。おそらく、そのことがあって、伊丹が「影画雑記」を出版した時、志賀はその本の序文を頼まれた。一九三七(昭和十二)年に出された本である。志賀の書いた序文の冒頭に「伊丹万作君とは私は一度しか会つたことがない」とある。その「影画雑記」には、「志賀さんの印象」という文が含まれているが、そこには、伊丹も志賀に会ったのは「赤西蠣太」の試写の日だけと書かれている。 
 一九三七年以降、二人がつき合いを深めた可能性がないではないが、残っている志賀の日記には伊丹に会ったという記述はない。(中略) つき合いがなかったのは、伊丹が結核になり、終戦の翌年の九月、亡くなったせいもあるだろう。  56ページ 》 

 《戦後、志賀作品を映画化した監督は四人いる。「好人物の夫婦」を監督した千葉泰樹、「正義派」を監督した渋谷実、「いたずら」を監督した中村登、「暗夜行路」を監督した豊田四郎。しかし、この四人と個人的に会ったという記述は志賀の日記にない。  57ページ 》

 伊丹万作結核になり、終戦の翌年の九月に亡くなったせいもあるだろう、とあるのですが、中村草田男句集「来し方行方」を読むと、昭和十七年の秋に京都の伊丹万作を草田男は訪れています。
 「万作の家に宿りたる頃」として、草田男の句が九句あります。
 昭和二十一年九月に伊丹万作が亡くなった時にも追悼句で九句、収録されています。