山口昌男の「冥界遊び」から


 晴れ間があったが、午後から気温が下がった。寒風に加えてかすかに牡丹雪が混じる。
 この冬一番の寒空に、雲間の青空からの日の光を浴びて山茶花サザンカ)の花が満開であった。 

ツバキ科の常緑小高木。九州・四国の山地に自生。葉は楕円形で両端がとがる。晩秋のころ白い花をつけ、散るときは花びらがばらばらに落ちる。種子から油をとり、材で器物を作る。園芸・観賞用としても栽培され、赤花・八重咲きなどの品種がある。  『大辞泉


 雑誌「一冊の本」2月号に、山口昌男著『エノケンと菊谷栄』が刊行という広告を見た。

 孤高の文化人類学者、〈幻の遺稿〉遂に刊行 サブタイトルが、「昭和精神史の匿れた水脈」というのに興味を持つ。

 山口昌男が、80年代に筆を執ったが、中断したまま完成には到らなかったという。
 菊谷栄について80年代に書いた文章が、山口さんの本でどこかにないかと探してみた。
 『冥界遊び』に、菊谷栄について山口さんが書いているのを見つけた。
 その箇所を引用すると、

 《このように一九八〇年の私達を未だに魅了してやまないルイズ・ブルックスは、大岡氏の青春、つまり二〇年代の憧れの女優だったということから、この半世紀の間忘れられて生きた芸術家が不滅の名声を獲ていることに疑いはない。
 ところで、昭和一桁後半にエノケンのバック・ボーンと言われた菊谷栄――この人はそのあり余る才能を惜しまれつつ昭和十二年中国戦線で戦死した――が昭和四年八月四日の或る新聞(名は不詳)に次のようにルイズ・ブルックスについて書いている。
  彼女(ルイズ・ブルックス)はクララ・ボーの如く露出症的な曲線を持ってゐるがボーの如く重苦しくない、積極的でない、地下室的でない、あく迄も軽佻でいて、消極的で、高楼的である。・・・・・・ 
  性的純潔な大都会的な娘であるルイズ・ブルックスはその性的純潔で、民衆の夏の夜に生きた。流行の水泳着を着た彼女が、ケープ片手に、青い灯の海水浴場へ行く――その後姿を想像する時僕は胸にときめきを感ずる。・・・・・・
『ルル』においてルイズ・ブルックスは、殆ど神話的ともいうべき姿をスクリーンに惜しみなく投影させた。ブルックス、菊谷栄、エノケン大岡昇平、こうした一九二〇年代の同時代的照応をたしかめることによって、我々は、一応見えなくなった二十世紀の匿れた水脈の一つに触れる想いがするのである。》  『冥界遊び』239〜240ページ

 この文章は、「ルイズ・ブルックスと一九二〇年代」というタイトルで、1983年11月の『大岡昇平集』16月報に掲載された。

エノケンと菊谷栄

エノケンと菊谷栄

冥界遊び (Scrap book (No.3))

冥界遊び (Scrap book (No.3))