菊谷栄とマック・セネットのこと

 寒の戻りで、最高気温6℃、早朝から気温が下がり続ける。
 陽射しがあり青空から牡丹雪がちらちらと舞い落ちる。
 日が暮れると気温が1℃近くまでに下がった。
 快晴の濃い青色の西の空には金星が眺められた。宵の明星である。高度は30度ほどだ。

 ニュースでは山間部は数十センチの積雪のニュースが聴こえて来る。冬に逆戻りだ。


 山口昌男の新刊、『エノケンと菊谷栄』を読む。
 副題が「昭和精神史の匿れた水脈」。
 菊谷栄について山口昌男の記述で注目したことのいくつかの覚え書き。

 「第一章 菊谷栄の生い立ち」の「演劇への目くばり」で、《大正十(一九二一)年、十九歳の菊谷栄は上京して、日本大学法文学部文学科(芸術学)に入学し、同時に画家川端玉章の画塾に入った。この頃から、本郷森川町の総州館住まいが始まる。下宿一カ月二十五円なりを払って居つく。経済的にはほとんど伯父の仕送りに依存していた。(中略)菊谷はこの頃、歌舞伎にせっせと通ったらしい。昭和二(一九二七)年に書かれた論文「歌舞伎と動物」と題する草稿が、今日菊谷家に遺されているが、この文章から推しても、菊谷は歌舞伎に対する並々ならぬ該博な知識の持ち主であったことを推察することが出来る。》15ページ

 山口の引用する論文「歌舞伎と動物」からの引用文で、《アメリカのマウリス・センネット[マック・セネット?]映画に現はれるやうな動物それ自身に芝居をさせる事、即ち我国の猿芝居輩は同感できない。 16ページ》の箇所に、マック・セネットの名前が挙げられていた。
 マック・セネットといえば、昨年12月の「MoMA ニューヨーク近代美術館映画コレクション」(Film Treasures from The Museum of Modern Art)で上映されたマック・セネット監督の映画「ツーリスト」(1912年、6分、白黒、無声)のマック・セネット監督のことではないのか。

〈喜劇映画〉を発明した男──帝王マック・セネット、自らを語る

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エノケンと菊谷栄

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