『政岡憲三とその時代』を読む

 『くもとちゅうりっぷ』(1943年、松竹動画研究部、15分、白黒)の監督・政岡憲三をめぐる萩原由加里著『政岡憲三とその時代』を読んでいる。
 副題が、「日本アニメーションの父」の戦前と戦後。
 
 はじめに
 第1章 美術とアニメーション
 第2章 映画のなかの漫画映画
 第3章 トーキーは漫画映画を変える
 第4章 二つの『くもとちゅうりっぷ』
 第5章 『ファンタジア』という呪縛――戦時下日本の漫画映画と制作者
 第6章 漫画映画制作者たちの戦後――絵本作家への転身
 第7章 漫画映画からテレビアニメへ――戦前と戦後を結ぶもの
 おわりに
 あとがき


 「はじめに」より一部引用すると、

 《その名を知っているのは、アニメーションや映画の歴史に興味をもつ人々に限られるだろうが、政岡憲三は今日、「日本アニメーションの父」と称されている。父とまで呼ばれるには、それ相応の理由があるはずである。この政岡憲三とは一体どのような人物なのだろうか。》 11〜12ページ
  
 《本書は、政岡憲三という一人のアニメーション監督の生涯に焦点を当てているが、これは単なる評伝という範疇にとどまるものではない。また、日本アニメーションの起源の一つを明らかにするという目的をもっているが、日本アニメーションの独自性を強調して、今日の繁栄の理由を求めるという類いのものでもない。政岡の足跡を追うことで、手塚治虫以前/以後という枠組みで語られ、かつ映画とテレビという二つのメディアに分けられて、両者があたかも断絶しているかのように語られてきた日本アニメーション歴史観の再構築を試みるものである。》 16ページ


 萩原由加里さんによると、政岡憲三が漫画映画を作り始めたのは、三十歳を過ぎた一九三〇年からである。
 一九二四年に絵専(京都市立絵画専門学校)の研究科を卒業してから、劇映画の監督や俳優をしている。
 《美工・絵専に関する資料のなかには、一九二四年頃のものとされる「演劇クラブ」の写真が掲載されている。この演劇クラブとは、学生演劇のことだろう。政岡はのちに映画業界に入り、俳優となった時期もある。
 絵を描くだけでは飽き足らず、演劇を通して、政岡の興味は映画へと広がっていったのである。》43〜44ページ
 一九二五年公開の衣笠貞之助監督の映画『日輪』に、衣装デザインやオープンセットなど時代考証全般を担当している。
 大正十四年にマキノ映画に入社して今でいう美術監督のようなことをやっている。
 『日輪』は横光利一原作の作品。